『小倉百人一首』
あらかるた
【66】見えぬ月を詠む
月のやどり
百人一首に11首ある月の歌のうち、
清原深養父(きよはらのふかやぶ)の歌は
とくにユニークな作品といわれています。
それは目に見えない月を詠っているから。
夏の夜はまだよひながら明けぬるを 雲のいづこに月やどるらむ
(三十六 清原深養父)
夏の夜はまだ宵だと思っているうちに明けてしまったが
月は雲のどのあたりに宿をとっているのだろう
夏の夜は短いので月は山の端にたどり着けず、
雲のどこかに休んでいるだろうとユーモアたっぷり。
夏の夜の月というのも、当時としてはめずらしい題材でした。
秋の夜の月を愛でるのが一般的だったからですが、
曾孫(ひまご)の清少納言(六十二)は『枕草子』初段に
「夏はよる 月のころはさらなり」と書いていて、
ひいおじいさんの歌を意識していたのかも知れません。
短夜(みじかよ)を楽しむ歌人たち
深養父は琴の名手だったらしく、
『後撰集』に藤原兼輔(二十七)と紀貫之(三十五)の
このような歌が載っています。
夏夜 ふかやぶがことひくをきゝて
みじか夜の更けゆくまゝに 高砂の峰の松風吹くかとぞきく
(後撰集 夏 藤原兼輔朝臣)
夏の短い夜が更けていくのにまかせ
峰の松に吹く風のような琴の音色を聴いているよ
同じこゝろを
足曳の山下みづはゆきかよひ ことのねにさへなかるべらなり
(後撰集 夏 貫之)
山の下には雪解けの水が流れていく
その流れのような琴の音(ね)に涙も流れてしまうよ
貫之の歌は技巧的で訳しにくいですが、
兼輔が山の上(峰)を詠ったのに対し、
山の下(谷)を詠んで唱和したのです。
それにしても、清少納言の曽祖父が爪弾く琴を、
紫式部の曽祖父兼輔と大歌人紀貫之が聴いていたのです。
興味深い歴史のひとコマですね。