『小倉百人一首』
あらかるた
【67】観音 歌を詠む
教育パパの恨み
藤原基俊(ふじわらのもととし:1060-1142年)の歌は
藤原忠通(ただみち 七十六)に宛てた恨みの歌として知られています。
息子の僧都光覚(こうかく)が
興福寺の維摩会(ゆいまえ)の講師に選ばれるよう、
基俊はたびたび忠通に尽力を依頼していました。
今年こそはと頼み込んだところ、
忠通は「しめぢが原」の歌を引いて請け合ってくれました。
ところが結果はまたも落選。
積年の夢は叶いませんでした。
契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり
(七十五 藤原基俊)
約束の「しめぢが原のさせも草」というお言葉が頼りでしたのに
(願いは叶わず)今年の秋も空しく過ぎていくようです
忠通が引用した「しめぢが原」の歌は『新古今和歌集』に収められていて、
左注に「清水観音の御歌となむ云ひ伝へたる」とあります。
なほ頼めしめぢが原のさしも草 われ世の中にあらむ限りは
(新古今集 釈教 清水観音)
それでもなお信じるがよい
標茅原(しめじがはら)のさしも草のようにさしも(それほど)願うなら
どうして叶わないことがあろうか
汝がこの世に生きているあいだは信じるがよい
かなり言葉を補って口語訳してみましたが、
これで頼もしく思わないはずがありませんね。
観音の嘆き
平安時代初期まで、人々は現世利益(げんせりやく)を求めて
清水や長谷などの観音に参詣していました。
死んでからの幸せではなく、この世での幸福です。
しかし、観音だからといってすべてが叶えられるわけではありません。
梅の木の枯れたる枝に鳥のゐて 花咲け/\と啼くぞわりなき
(新続古今集 釈教 清水観音)
梅の木の枯れた枝に鳥がいて
花よ咲け咲けと鳴くのは無茶なものだ
枯れ木に花を咲かせよというに等しい無理な願い。
観音もこまることがあったようです。
観音に来世での救済を願うようになったのは10世紀頃からといい、
生死輪廻(しょうじりんね)から解放されて浄土に往生したいと願う人が
貴族階級を中心に増えていきます。
観音は現世と来世の両方のご利益を求められるようになったのです。
観音はある時、清水寺に通夜(終夜祈願)する僧の夢に現れて
こう詠んだそうです。
いかにせむ日は暮がたになりぬれど 西へ行くべき人のなき世を
(玉葉集 釈教 清水観音)
どうしたものだろう 今日もまた夕方になったけれど
西方浄土に行くにふさわしい人がいない世の中を
西方は阿弥陀仏の極楽浄土のある方角です。
その極楽浄土に生まれ変わりたいと毎日多くの人が祈願しに来るが、
今日もまた、それに値するだけの人はいなかったというのです。
煩悩にまみれた衆生(しゅじょう=人々)を
日々見つづけた観音の嘆きです。