『小倉百人一首』
あらかるた
【72】須磨の侘び住まい
在原兄弟の影響力
光源氏の人物造形に大きな影響を与えたのが在原業平、
というのはよく知られていますが、
業平の兄行平(ゆきひら:818-893年)も
『源氏物語』に大きなヒントを与えています。
わくらばに問ふ人あらば 須磨の浦に藻塩垂れつゝわぶとこたへよ
(古今集 雑 在原行平朝臣)
偶然にでもわたしの消息を尋ねる人があったなら
須磨の浦で藻に海水をかけ(涙を流して)思い悩んでいると答えてくれ
行平は有能な官吏でしたが、宮廷で何か不祥事があったらしく、
文徳(もんとく)天皇の時代にしばらく須磨に流されていました。
この歌はそのとき宮廷内にいる人に贈ったとされるもの。
『源氏物語』の「須磨」の巻はこの歌をもとにしています。
紫式部は源氏の籠居先を
「行平の中納言の藻塩たれつゝわびける家居」の近くと記し、
行平の和歌と流罪のエピソードを読者に思い出させます。
『源氏物語』に実在の人物の名が出てくるのは異例ですが、
『古今和歌集』に載っているほどの人ですから、
読者は源氏の境遇を行平のそれと容易に重ね合わすことができたでしょう。
意に任せぬ宮仕え
『伊勢物語』にも行平らしき人物が描かれています。
「をとこ」が宮仕えをしていたとき、
「津の国うばらの郡芦屋の里」の領地に住んでいたことがありました。
ある日、友人や兄を誘って布引の滝を見物に行ったところ、
滝の迫力に圧されて皆が絶句している中、
兄がこのような歌を詠んだというのです。
わが世をばけふかあすかと待つかひの 涙の滝といづれ高けむ
(新古今集 雑 中納言行平)
わたしの夢の叶う日を今日か明日かと待っているが
その甲斐もなく日々涙を流している
(つもる涙と)この滝とどちらが高いだろうか
ひょっとしてこれは須磨に籠居中の話で、
業平は兄の無聊をなぐさめるために
滝見物に連れ出したのかもしれません。
行平は自分が思うように活躍できないのをもどかしいと思っています。
正義感が強く、関白藤原基経(もとつね)とも
たびたび衝突していた行平にとって、宮廷は居心地のよい場所ではなく、
その生涯は波乱に満ちたものにならざるをえませんでした。
対照的に好色が原因で波乱の生涯を送っていたのが弟の業平。
ふたりはどんな会話をかわしていたのでしょう。