読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【26】道因法師和歌への執心


老いてもなお

坊主めくりという遊びが成り立つほど
百人一首にはお坊さんが大勢選ばれています。

しかし出家の動機は人それぞれ。
出家した時期をみても、素性(そせい二十一)のように
子供のうちに出家させられた例があるかと思えば、
道因(どういん)のように83歳で出家した人もあり、さまざまです。

道因の出家の目的は仏道修行や隠棲のためではなかったらしく、
『古今著聞集』巻五にはこのような逸話が載せられています。

道因が出家直後に藤原実国(さねくに)を訪問したところ、
こういう歌を書いた扇を渡されました。

むらさきの雲にちかづくはし鷹はそりて若葉に見ゆるなりけり

阿弥陀仏が来迎の時に乗ってくるという紫の雲に近づくはし鷹は
反れて(剃って)若葉のように見えることだよ

剃ったばかりの青い頭を若葉にたとえ、
出家したとはいえ極楽往生を願うわけではない心情を見透かして
「反れて」と詠んだものと思われます。
しかし道因、動ぜずにこう返歌しました。

はし鷹の若葉に見ゆと聞くにこそそりはてつるはうれしかりけり

雑事を離れて歌に専念するぞという、
道因の意気込みさえ感じられます。


死してもなお

道因は俗名を藤原敦頼(ふじわらのあつより)といい、
官職は左馬助(さまのすけ)でした。
出家以前から歌への執心ひとかたならず、歌の上達を願って
住吉社に毎月のお参りを欠かさなかったと伝えられます。

最晩年に到ってもみずから奉納歌合を勧進したり、
あちこちの歌会、歌合に参加して、
講師の話を熱心に聞いていました。

歌合で自作が負けと判定されたとき、
号泣して判者を困らせたという話も。

道因の死後編纂された『千載和歌集』には
道因の作が20首採られていますが、予定では18首だったそうです。

撰者藤原俊成(八十三)の夢に道因が現われ、
18首も選んでいただいてと礼を述べたのに感動。
俊成は2首を追加してその「執心」に応えてやったのだといいます。

その20首の一つが、百人一首にあるこの歌です。
すでに紹介しましたが、もう一度読んでみましょう。

思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり
(八十二道因法師)

つれない人を思って嘆き悲しみながらも生き長らえてきた
それなのにつらさに耐えられず涙がこぼれることよ

道因は百人一首の撰者定家の夢にもお礼に現われたでしょうか。