読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【28】なんでわたしが天皇に


無欲の親王

「君がため」で知られる光孝(こうこう)天皇が即位したのは
元慶8年(884年)、55歳のときでした。
幼少で即位する天皇が多かった時代、まさに異例の高齢天皇。
その背景には何があったのでしょう。

元慶8年(884)
陽成天皇が退位すると、
皇位継承権をもつ親王たちは色めき立ちました。
時の権力者、摂政の藤原基経(もとつね)に気に入られようと
急にお洒落を始めたり基経にお世辞を言ってみたり。

しかしそんな中で、仁明(にんみょう)天皇の皇子だった
時康(ときやす)親王だけは落ち着いていました。
時康は小松殿と呼ばれる邸に住んで管絃や読書を好み、
暮らしぶりも身なりもたいへん質素だったと伝えられます。

政治や権力に無関心だったからともいわれますが、
その無欲さが結果的に目立つこととなり、
基経は時康親王の擁立を決意します。
第58代光孝天皇の誕生です。

基経は欲のない時康を宮中に招き入れることで、
摂政として政務が執りやすくなったと考えられます。 


自炊する天皇

吉田兼好は『徒然草』の中で、
光孝天皇のこんなエピソードを紹介しています。

黒戸は小松御門(こまつのみかど)位につかせ給ひて
昔たゞ人におはしましゝ時まさなごとせさせ給ひしを忘れ給はで
常にいとなませ給ひける間なり
御薪にすゝけたれば黒戸といふとぞ

黒戸の御所というのは光孝天皇が即位なさって
かつてただの皇子でいらしたときお料理なさったのをお忘れにならず
つねに料理をなさっていたお部屋である
薪の煙で煤けているから黒戸というのだそうだ
(第百七十六段)

親王の頃だけでなく、即位後も自炊をしていたというのです。
天皇の質素で温厚な人柄は在位の間も変わらなかったようです。

君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ
(十五光孝天皇)

あなたのために春の野原に出て若菜を摘んでいる
わたしの袖には雪が降りつづけています

この歌は『古今集』にあるもので、
詞書によれば親王だった頃に詠んだもの。

月のうちのかつらの枝を思ふとや涙のしぐれ降るこゝちする
(新勅撰集巻恋光孝天皇御製)

月に生える桂の枝のように手の届かない人を思うからでしょうか
涙が時雨のように降るような気がします

月に桂が生えているというのは中国の伝説。
光孝天皇が遺した歌は多くありませんが、人柄を反映しているのか、
やさしさ、優美さを感じさせるものばかりです。