読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【31】和歌の聖典古今和歌集


貫之は下手な歌よみ

正岡子規は『歌よみに与ふる書』の中で、
「貫之は下手な歌よみにて、古今集は
くだらぬ集に有之候(これありそうろう)」と述べ、
史上初の勅撰和歌集と編纂に当たった中心人物をけなしています。

子規は素朴で力強い『万葉集』を高く評価し、
その流れを汲む源実朝(九十三)を称賛していました。
繊細優雅な『古今和歌集』はお気に召さなかったのです。

それにしても紀貫之が下手な歌よみとは極論。
百人一首のこの歌も標的にされてしまいました。

人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
(三十五紀貫之)

人の心はさあどうだかわかりませんが
古都の初瀬は梅の花が昔と変わらない香りを漂わせていますよ

子規は「『人はいさ心もしらず』とは浅はかな言ひざま」と
貫之の歌の軽さを難じています。

『古今和歌集』から引かれたこの歌には長い詞書があり、
初瀬の長谷寺に参詣した貫之が
久しく訪れなかった宿の主人に皮肉を言われたので、
そばにあった梅の枝を折って添えてやった歌だとわかります。

つまり即興の一首。
定家が数多い貫之の作品からこの歌を選んだのは、
当意即妙な面白さを評価したからでしょう。
皮肉には皮肉で返す、貫之の冴えたユーモアが感じられます。


撰者という名誉

『古今和歌集』の撰者となったのは貫之のほかに
従兄(いとこ)の紀友則(三十三きのとものり)、
凡河内躬恒(二十九おおしこうちのみつね)、
壬生忠岑(三十みぶのただみね)。

かれらは内御書所(うちのごしょどころ)という編集室で
掲載すべき和歌の選定を行っていました。

ある夜、まだ四月の初めだというのに
ほととぎすが鳴くのに気づいた醍醐天皇、
貫之たちが残業中なのを思い出して、
面白いから一首詠めと伝えさせます。

そこで貫之が詠んだというのが、この歌です。

異夏はいかゞ鳴きけむほとゝぎす今宵ばかりはあらじとぞ聞く
(貫之集巻九)

ほととぎすはほかの夏にはどのように鳴いたのでしょう
今夜ほど素晴らしく鳴くことはなかろうと存じます

この歌には貫之たちの喜びが反映されていると
指摘する研究者もいます。
かれら四人は下級官吏に過ぎず、編集者に選ばれるのは
文字通りの大抜擢だったからです。

しかし、それだけではなかったでしょう。
かれら歌人にとっては、長いこと漢詩が高級で和歌は低級とされていた
有難くない価値観を払拭するチャンスだったのです。
張り切らないわけがありません。 

完成まで約8年を要した『古今和歌集』は努力の甲斐あって、
以後の勅撰集の規範となりました。

百人一首に22首も採り上げられていることからもわかるように、
時代が変わっても長く和歌の聖典として愛され、
日本の文化に大きな影響を与え続けました。