『小倉百人一首』
あらかるた
【33】和歌の精髄勅撰和歌集
一般の和歌集との違いは?
よく出てくる「勅撰集(ちょくせんしゅう)」という言葉について、
今回はその意味や位置づけを見てみましょう。
勅撰集は天皇や上皇の命令書によって作られます。
勅は天皇の命令という意味で、
命令の書かれた文書を宣旨(せんじ)といいます。
天皇の言葉を最初に聞くのは側に仕える女官、内侍(ないし)です。
内侍はそれを蔵人(くろうど)に伝え、蔵人は上卿(しょうけい)に伝え、
上卿はさらに外記(げき)に伝え、外記が文書を作成しました。
外記は今でいう書記のような官職です。
伝言ゲームみたいですが、
天皇の言葉が直接役人に告げられることはなかったのです。
宣旨をうけて撰者が指名され、
一定の方式、様式に則って組織的に編集されて、
完成すると奏覧(そうらん)といって天皇、上皇に見てもらうという
手続きを踏むことになっていました。
国家的プロジェクト、というと大袈裟かも知れませんが
時代の和歌文化の粋を集めた権威あるものを作ろうという
意識が働いていたのは確かなようです。
ちなみに『古今集』は宣旨から奏覧まで8年ほどかかっています。
それに対し、天皇や上皇でない人が個人的に編集した歌集は私撰集、
個人の作品を集めた歌集は家集と呼んで区別します。
『紫式部集』や『山家集』(西行)などは家集です。
勅撰和歌集はいくつある?
藤原定家が百人一首に利用した勅撰集は10種です。
以下に名前と読み、成立年(推定を含む)を記します。
《古今和歌集》こきんわかしゅう(913~914年)
《後撰和歌集》ごせんわかしゅう(955年頃)
《拾遺和歌集》しゅういわかしゅう(1005~06年)
《後拾遺和歌集》ごしゅういわかしゅう(1086年)
《金葉和歌集》きんようわかしゅう(1126~27年)
《詞華和歌集》しかわかしゅう(1151年頃)
《千載和歌集》せんざいわかしゅう(1188年)
《新古今和歌集》しんこきんわかしゅう(1205年)
《新勅撰和歌集》しんちょくせんわかしゅう(1235年頃)
《続後撰和歌集》しょくごせんわかしゅう(1251年)
このうち『新古今集』までを「八代集」と呼びます。
ちなみに時代区分では『千載和歌集』以降を中世とするのが一般的。
定家没後も勅撰集は作られ続け、
1439年の『新続古今和歌集(しんしょくこきんわかしゅう)』まで、
合計21種の勅撰集が存在します。
これらを合わせると歌数は約35000首、
作者は約3000名(よみ人知らずを除く)となります。
世界的にも類を見ないアンソロジーといえるでしょう。