『小倉百人一首』
あらかるた
【40】風よ吹け
草木を枯らす山の風
「花鳥風月」とは自然の素晴らしさを象徴する言葉。
自然そのものを意味することもある四字熟語です。
四つのうち「風」だけは目に見えませんが、
古くから詩歌の題材として採り上げられ、
百人一首にも「風」や「嵐」を詠った和歌が13首入っています。
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ
(二十二文屋康秀)
吹けばたちまち秋の草木がしおれてしまうから
なるほど山から吹き下ろす風を嵐(荒し)と呼ぶのだろう
六歌仙のひとり文屋康秀(ふんやのやすひで)の歌。
「山」と「風」を合わせると「嵐」になるという
頓知みたいな歌なので「ああなるほどね」で終ってしまいがち。
草木を枯らす野分(のわき)の激しさ、
六甲おろしや赤城おろしなどの颪(おろし)が見せる
自然の厳しさを思い浮かべてこそ、味わいが出てきます。
新古今は風ブーム?
吉田兼好は『徒然草』の第二十一段に
「風のみこそ人に心はつくめれ(風ほど人の心を動かすものはない)」
と書いており、風は人にさまざまな思いを抱かせるといっています。
おしなべてものを思はぬ人にさへ心をつくる秋のはつかぜ
(新古今集秋西行法師)
たいていの心ない人にさえも
もの思いをさせる秋風の吹きはじめであることよ
兼好は西行(八十六)のこの歌を念頭においているかも知れません。
上の歌を載せた『新古今和歌集』は風の歌の多いのが特徴のひとつ。
風ブームでもあったかと思ってしまいます。
「由良の戸を」の曽禰好忠(四十六)の風の歌も
いくつか『新古今』に入集しています。そのひとつ。
秋風のよもに吹きくる音羽山なにの草木かのどけかるべき
(新古今集秋曽禰好忠)
秋風が四方から吹いてくる音羽山では
どの草木がのんびりしていられるだろうか
これも康秀と同じように自然の厳しさに目を向けたもの。
さて、百人一首には藤原顕輔(あきすけ)と藤原雅経(まさつね)の
風の歌が『新古今』から採られています。
顕輔は叙景歌の回(バックナンバー《18》参照)に紹介したので、
ここでは雅経を見てみましょう。
み吉野の山の秋風さよふけてふるさと寒く衣うつなり
(九十四参議雅経)
吉野山に秋風が吹いて夜は更け
古都は衣を打つ砧(きぬた)の音も寒く聞こえることよ
この歌は是則(これのり三十一)の本歌取り。
みよし野の山の白雪つもるらし故郷さむくなりまさるなり
(古今集冬坂上是則)
吉野の山に白雪が積もったようだ
我が家の寒さが増してきたのでそれと知れるよ
雅経は季節を秋にして風を吹かせ、さらに砧の音を加えて
物寂しい情感のある歌を生み出しました。
風は単なるブームではなくて、
歌人たちに数々の秀歌をもたらしていたようです。