『小倉百人一首』
あらかるた
【41】百人一首鳥類学〈続〉
千鳥は哀しみの鳥
千鳥足というと、
かつては酔っぱらったお父さんの得意わざでした。
最近ではお姉さんの千鳥足がめずらしくなくなり、
他人ごとながら心配になってしまいます。
それはさておき、浜の千鳥が酔っぱらいのように
あっちへよろよろ、こっちへふらふらしているのは、
実は巧みなフェイントです。
獲物は千鳥がまっすぐ向かってこないので
自分が狙われているとは思わず、
気がついたときはすでに手遅れ、というわけ。
そんなふうに相手を欺く千鳥ですが、
和歌の世界ではハンターのイメージはまったくなし。
淡路島かよふ千鳥の鳴くこゑに いく夜ねざめぬ須磨の関守
(七十八 源兼昌)
淡路島から通ってくる千鳥の鳴き声で
幾夜目を覚ましたことだろうか 須磨の関の番人は
源兼昌(みなもとのかねまさ)のこの歌は
『源氏物語』の光源氏の歌が本歌ではないかといわれています。
友千鳥もろ声になくあかつきは ひとりねざめの床も頼もし
(源氏・須磨)
千鳥たちがそろって鳴く夜明けは
寢床で独りで目覚めても心強いものだ
源氏は千鳥の群れの声を「頼もし」と聞いていますが、
関守に孤独を仮託した兼昌の歌には哀感が漂います。
和歌では千鳥の鳴き声は友や妻を呼ぶ声とされており、
もの悲しかったり悲痛だったりするのです。
あふことはいつとなぎさのはま千鳥 浪の立ゐにねをのみぞなく
(金葉集 恋 中納言雅定)
あなたに会うことはいつになるともわからず
浜千鳥のように波の動きに声をあげて泣いてばかりいます
また千鳥が渚につける足跡から、
このような歌も詠まれています。
ふみゝても恨みぞふかきはま千鳥 まれになりゆく跡のつらさは
(新後撰集 恋 昭訓門院大納言)
お手紙をいただいても嘆きは深いままです
浜千鳥の足跡のようにお手紙がまれになっていくのがつらいから
「ふみ」は「跡」の縁語で「文(=手紙)」と「踏み」を掛けています。
「浦(うら)」と「浜」「深し」も響きあっていて、
「跡」は「足跡」と「筆跡・手紙」を意味しています。
手の込んだ和歌ですが、千鳥の足跡が波に洗われて減っていき、
ついには消えてしまうだろう、そんなふうにして
いつか手紙も来なくなってしまうだろうと、
不安でならない恋心が伝わってきます。