『小倉百人一首』
あらかるた
【44】時のはざまに
終わりと始まりのはざま
最近すっかり定着した感のあるハロウィン、
なぜ10月31日の夜に行い、なぜお化けや魔女の扮装をするのでしょう。
まず日にち。
かつては10月最後の日の日没とともに一年が終わり、
11月1日に新年を迎えていたからです。
お化けや魔女など、死をイメージする扮装は、
年の替わるときに祖先(死者)が子孫(生者)のもとを
訪れるという信仰が変化したものといわれています。
これらはキリスト教以前の、ヨーロッパの暦にともなう風習です。
東洋でも11月が新年だったことがあり、
十二支の子・丑・寅・卯…は、
それぞれ11月・12月・1月・2月…をあらわしていました。
大晦日に祖霊を迎えたり、節分に豆まきをしたりする風習は
現代にまで受け継がれておなじみのものになっています。
旧年と新年が入れ替わるとき、季節が変わるとき、
その時間の境い目を通って祖先がやってきたり、
悪霊たちがやってきたりすると
昔の人々は信じていました。
時のはざまにあの世との通路が開く。
同じようなことを西でも東でも考えていたのですね。
災厄を祓い、身を清め、新たな生命力を身につける
さまざまな行事が各地に伝えられています。
夏の終わりの再起動
時間の区切りは年末年始だけではありません。
百人一首の藤原家隆の歌は夏の区切りを詠んだものです。
風そよぐ楢の小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける
(九十八 従二位家隆)
風に楢(なら)の葉がそよいで ならの小川の夕暮れは涼しいが
禊(みそぎ)のようすがまだ夏なのだと知らせてくれるよ
ならの小川は京都上賀茂神社の境内を流れているそうです。
その小川で身を清めている姿を見て、家隆は
まだ夏なのだと実感したというのです。
これは六月祓(みなづきばらえ)という行事のこと。
師走の晦日にも大祓(おおはらえ)がありますが、
一年を前半と後半に分ける考え方から、
六月にも同じことが行われたのです。
神社などで見られる茅の輪くぐりはその名残り。
輪をくぐると身が清められる、病気をしないなど
聞いたこのある人は多いでしょう。
半年経ったところで禍福をリセットしたのです。
家隆の200年近く前、和泉式部はこのような歌を詠んでいます。
思ふことみなつきねとて 麻のはをきりにきりてもはらへつるかな
(後拾遺集 誹諧 和泉式部)
悩みごとがみんな尽きてしまえと願って
麻を切りまくって身を清めましたわ
「水無月」と「皆尽き」が掛詞。
ここでいう麻は切麻(きりぬさ=切幣)のことでしょう。
罪や穢れを除くために切り刻んでまき散らしたもののようです。
家隆の歌はのんびりしていますが、
和泉のほうは必死なのか、戯画化しているのか…。