『小倉百人一首』
あらかるた
【45】乱世に生きる宮廷歌人
天下の乱れは政治の乱れから
今年は大きな災害や事故が相次いでいます。
かつて中国では、天下の乱れは
皇帝の不徳によって起るとされていたそうです。
皇帝は天変地異にも責任があったのです。
日本では凶事がつづくと元号を改めたり、
冤罪だったかも知れない皇族、貴族の名誉回復を行ったり、
国家行事として大規模な祈祷を行ったりして
わざわいを収束させようとしました。
帝の不徳より神や怨霊のたたりのほうが、
日本人には思いつきやすい原因だったのでしょう。
ところで百人一首の藤原俊成の歌は、政治批判と思われないかと
一旦は『千載集』入集を見送られていたといいます。
世の中よ道こそなけれ 思ひ入る山の奥にも鹿ぞなくなる
(八十三 皇太后宮大夫俊成)
この世の中には憂さを逃れる道(方法)さえないのだなぁ
思いを抱いて入った山の奥にも 鹿が悲しげに鳴いていることよ
「道」が政道を指していると受けとめられると、
戦乱がつづいているのは政治がきちんと行われていないからだ
ということになってしまいます。
この歌が詠まれたのは保元の乱以後の乱世のさなかでした。
正しく読めば批判よりむしろ、そんな世を逃れて
出家したいと願っているように思えます。
27歳の述懐の歌
詞書によると「世の中よ」の歌は保延6年(1140年)ごろの
『保延百首』(「述懐百首」とも)で詠まれたもの。
俊成は27歳くらい。壮年にさしかかった俊成が世の中をどう見ていたのか、
同じ百首からピックアップしてみました。
(出典は家集『長秋詠藻(ちょうしゅうえいそう)』)
世の中を嘆く涙はつきもせで 春はかぎりになりにけるかな
(長秋詠藻)
つらいこの世を嘆くわたしの涙は止まることなく
(時は過ぎて)春は今日限りとなってしまったことだ
見るからに袖ぞ露けき世の中を うづら鳴く野の秋萩の花
(長秋詠藻)
世のありさまを見るにつけ涙で袖が濡れるというのに
秋荻の咲く野に鶉の鳴き声がして いっそう哀しく感じられるよ
世の中はうき節しげししのはらや 旅にしあれば妹夢に見ゆ
(長秋詠藻)
篠竹に節が多いように世間はつらい折節が多いもの
篠原に旅寝していると(つらくて)妻を夢に見てしまうよ
いかにせむしづが園生のおくの竹 かきこもるとも世の中ぞかし
(長秋詠藻)
賤しい者の住む家の園生(そのう=庭)の奥に竹垣がある
そこに引きこもっても世間からは逃れられないだろうな
「いかにせむ」は「道こそなけれ」に通じますね。
俊成にとって世の中はつらいだけのものだったのでしょうか。
実際は歌壇の中心人物として
91歳で亡くなるまで活躍をつづけたわけですから、
「道こそなけれ」はそのつらい世の中でしっかり生きていくぞという
決意が込められていたと考えることもできそうです。