『小倉百人一首』
あらかるた
【2】朝は別れのとき
逢うことの意味
『竹取物語』でおなじみのかぐや姫。
竹の中から見つけられてわずか三月で、
輝くばかりの美少女に成長します。
評判を聞いた男たちが次々と押し寄せますが、姫はまったく興味なし。
あきらめて去っていく人が多いなか、
「色好み」の五人の貴公子が残ります。
翁(おきな)にしてみればいずれも申し分のない結婚相手。
そこで姫への説得が始まります。
この世の人は男は女にあふことをす
女は男にあふことをす
その後なむ門ひろくもなり侍る
いかでかさることなくてはおはせん
かぐや姫がこの世の人ではないので、
年頃の男女は結婚するものだよと教えたのです。
結婚によって子孫が増えて(門ひろくなり)家が栄えるのだから、
どうしてそうしないでいられましょうかと。
古語の「逢ふ」はただ逢うことをいうだけではなくて、
男女が「契る」ことも含んでいます。
そう思って読むと、和歌の受けとめかたも変わってきます。
逢えるのは夜だけだった
逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり
(四十三 権中納言敦忠)
お逢いした後のつらい思いに較べたら
これまでの思いなんて何も思っていないようなものでしたよ
それまでうわさを聞いただけで、
あるいはちらっと垣間見(かいまみ)しただけで恋をしていた相手に
ようやく実際に逢い、一夜をともに過ごすことができた。
そうなってみると、これまでのもの思いなんて
物の数ではなくなります。
離れている時間がなんとつらいことか。
この歌は後朝(きぬぎぬ)の歌といって、密会の翌朝に女性に贈ったもの。
なぜ「きぬぎぬ」と読むかというと、
朝になってそれぞれが「きぬ(衣)」を着て別れるから。
後朝の歌は男が自宅などにもどってから、
「後朝の使い」に持たせてやりました。
有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし
(三十 壬生忠岑)
つれないそぶりに見えた夜明け前の別れがあってから
暁ほどつらく恨めしいものはありません
日が暮れてから女性のもとを訪れ、夜明け前に去っていく。
男の帰り道はいつも暁(あかつき)でした。
暁は曙(あけぼの)より前の時間帯なので、まだまだ空は暗い。
そこに有明の月がかかっていたのです。
十五夜を過ぎてからの月でしょうか。
夜明けまで空に残る月は未練の象徴のように思えます。
あけぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな
(五十二 藤原道信朝臣)
夜が明ければまた夕暮れがやってきてあなたに逢える
そうとは知りながらも恨めしい明け方であることよ
『後拾遺集』に「女のもとより雪ふり侍りける日かへりて遣はしける」
とある歌です。
冬ですから、すぐ日が暮れてまた逢うことができる、
それでも夜明けが恨めしい。
つい先ほどまでのぬくもりを抱いて、
男は雪の中を帰っていったのでしょう。
後朝の歌を待つ
後朝(きぬぎぬ)の歌はできるだけ早く届けるのがマナーでした。
清少納言は「胸つぶるるもの」の段にこう書いています。
よべ来はじめたる人の今朝の文おそきは 人のためにさへつぶる
(枕草子 第百五十段)
昨夜はじめて通ってきた男から、なかなか後朝の歌が届かない…
他人事であっても胸がつぶれる思いがすると。
もう二度と通ってこないのではないか、きらわれたのではないか、
待つだけだった女性は気が気ではなかったのです。
そこにこんな歌が届けられたらどうでしょう。
君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな
(五十 藤原義孝)
あなたのためならこの命などどうなってもいいと思っていましたが
お逢いできた今では少しでも長くありたいと思っています
この幸せが長くつづきますようにという、男の願いが込められています。
藤原義孝は謙徳公(四十五)の息子で、美貌の貴公子でした。
この恋がその後どうなったか気になるところですが、
義孝はわずか21歳で病没しています。
人目を忍ぶ恋
逢いたいのに逢えないとき、思いはつのります。
『百人一首』には激しい恋を思わせるこんな歌があります。
名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな
(二十五 三条右大臣)
逢坂山のさねかずらが逢って寝るという名前ならば
蔓をたぐって秘かにあなたのもとを訪れたいものだ
藤原定方(さだかた)の歌。
「逢坂山」と「逢ふ」、「さねかづら」と「さ寝」、
「繰る」と「来る」が掛詞(かけことば)。
さねかずらはつる性の植物なので、
その蔓(つる)を繰る(たぐる)という表現で
「会いに来る」を暗示したわけです。
掛詞だらけですが、内容は直球勝負。
「逢って寝る」と詠い込むなんて、とても大胆です。
さらに蔓が絡みつくことまでイメージしていたとしたら…。
さねかずらは茎から採った粘液で整髪料を作ったため、美男蔓という別名も。
櫛などで髪の毛になじませたようです。
ふつう髪の手入れは異性の前で行うものではありませんでしたから、
その意味でもふたりの親密さを表わしていると考えられます。
蔓をたぐってこっそり逢いにいきたい。
だれにも邪魔されたくないから?
それとも秘密の恋ほど情熱的になれるから?
不倫の恋なら人目を忍ぶことになりますが、
知られたくない理由はほかにもありました。
恨みわびほさぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそをしけれ
(六十五 相模)
つれない人を恨む涙に袖が濡れて乾くひまもないのに
そのうえ恋のうわさでわたしの名が朽ちていくのが惜しい
つらい恋をしているのに浮き名が立つことのくやしさ。
相模が詠んだ一首は女性のプライドを感じさせますが、
実際とはちがううわさなんて立てられたくないもの。
もし真実だとしても、失恋のうわさだったら、
やっぱり立てられたくない。
名を重んじるのは貴族女性の誇り高さゆえでしょうか。
最後は定方の息子、藤原朝忠(あさただ)。
不倫の恋ではないかという疑惑の一首。
逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし
(四十四 中納言朝忠)
逢うということがまったくなかったのなら
かえってあの人を恨んだり自分をみじめに思ったりもしなかっただろう
まだ逢えていないのか、
一度は逢ったけれどその後逢えなくなってしまったのか、
ごくまれにしか逢えないのか、どうもよくわかりません。
逢えない理由もわからない。
とてもリズムのよい歌なのに、読めば読むほど謎が深まります。
読者の想像をかきたてるのも、この歌の魅力なのでしょう。