読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【6】花の色は


絶世の美女の誕生

この歌、美人で名高い小野小町(おののこまち)が
美貌の衰えてゆくのを嘆いた歌だと、
学校で教わりませんでしたか。

花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせしまに
(九 小野小町)

桜の花の美しさは褪せてしまった むなしく長雨がつづいている間に
(わたしの容色も衰えてしまった むなしくもの思いをしていた間に)

小野小町といえば美女の代名詞。
生没年不詳、親の名前もわからず、
生前のエピソードもほとんど伝わっていないのに、
どうして美女だとわかるのでしょうか。

実は、美女伝説を産んだ「犯人」かも知れないのがこの文章。

をのゝこまちはいにしへのそとほりひめの流なり
あはれなるやうにてつよからず
いはゞよきをうなのなやめる所あるにゝたり
(古今集 仮名序)

紀貫之(きのつらゆき)が書いた『古今和歌集(古今集)』の仮名序です。
「そとほりひめ」は「衣通姫(そとおりひめ)」のことで、
肌の美しさが衣を通して輝いていたという美女。

允恭(いんぎょう)天皇の后、
忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめのみこと)の妹でした。
『日本書紀』には衣通郎女(そとおしのいらつめ)として出てきます。

貫之は小野小町の歌が衣通姫の流れを汲むものだといい、
趣があるが強さがなく、よきをうな(美しい女性)が
病気で具合の悪いところがあるのに似ていると書いています。

これを読んだだれかが、小野小町は
絶世の美女として知られる衣通姫によく似た美女だったと、
早とちりしたんじゃないでしょうか。
美女伝説の誕生です。


元祖・絶世の美女

ここで『古今集』にある衣通姫の歌を見てみましょう。

わが背子が来べき宵なり さゝがにのくものふるまひかねてしるしも
(古今集 墨滅)

愛しいあの人がやって来る夜だわ
蜘蛛が巣を作っているのがその証拠だもの

「わが背子」は「わたしの彼氏」のこと。
「ささがに」は「くも」や「いと」にかかる枕詞です。
古代日本には蜘蛛が巣を掛けると待ち人がやってくるという
言い伝えがあったのだとか。

彼氏というのは允恭天皇でした。
天皇は后をほったらかしてその妹の衣通姫のところに通いつづけ、
后の出産が近づいてもやめようとしませんでした。
悲しんだ后はついに自殺未遂。さすがに天皇も平謝りだったそうです。
美女がまわりを幸せにするとはかぎらないということでしょうか。

『古今集』をひもといていくともうひとり、
美女だったかも知れない女性に出逢います。

時すぎてかれゆくをのゝあさぢには 今は思ぞたえずもえける
(古今集 恋五 こまちがあね)

盛りが過ぎて枯れていく小野の浅茅は 今では絶えず燃えています
(恋の盛りが過ぎて忘れられても わたしの思いはずっと燃えています)

「こまちがあね」は「小町の姉」でしょう。
訪れの少なくなった男のもとに、焼けた茅(ち)の枝につけて遣わした歌。
「枯れ」と「離(か)れ」が掛詞です。

一説によると
天皇の寵愛を受けて御子を産んだ女性を「町(まち)」と称したといい、
「こまちがあね」は「小野町」と呼ばれていたのではないか。
その妹だから「小野小町」と呼ばれたのだろうと、推測する人もいます。
姉妹で宮廷に出仕していたのかも知れません。


小野一族の衰退

小野小町の祖先は有力氏族でした。
教科書にも出てきた小野妹子(おののいもこ)は
遣隋使(けんずいし)を務めたほどの重要人物。

百人一首歌人の参議篁(さんぎたかむら)は小野篁(たかむら)のことで、
父親の小野岑守(みねもり)も参議でした。
ほかに歌人の小野春風、能書家で有名な小野道風も小野一族です。

名門の小野氏が衰退し始めたのが小野小町の時代。
篁は嵯峨上皇の怒りをかって隠岐へ流されるという事件を起こし、
その後小野一族はほとんど要職に就けなくなってしまいます。
篁の百人一首所収歌は隠岐への船出の際に詠まれたといいます。

わたの原八十島かけて漕ぎ出ぬと 人には告げよ海人の釣舟
(十一 参議篁)

はるかな海原を島々めざして船を漕ぎ出していったと
都の人に伝えておくれ 漁師の釣船よ

流罪は2年も経たずに取り消され、篁は都に呼び戻されます。
しかしこの歌を詠んだときの、
遠い島へ旅立つ思いはいかばかりだったでしょう。
『古今集』には篁の歌が「わたの原」以外に五首収められています。
そのうちのひとつ

花の色は雪にまじりて見えずとも かをだににほへ人のしるべく
(古今集 冬 小野たかむらの朝臣)

花の姿は雪に紛れて見えなくとも
香りをただよわせよ 人が気づくように

冬の歌となっていますが、
没落していく一族を思っての詠歌と考えられなくもありません。
小町の「花の色は」にしても、
一族の栄華が色褪せていくことへの嘆きだったのかも。


謡曲七小町

小野小町はいつしか伝説の人となりました。
物語が書かれ、歌舞演劇の素材となって、絶世の美女、
恋に生きた女性という小町像が作られていったのです。

謡曲(能)には「七小町」といって、小野小町を扱った曲が七つあります。

『鸚鵡(おうむ)小町』『通(かよい)小町』『関寺(せきでら)小町』
『卒都婆(そとば)小町』『草子洗(そうしあらい)小町』
『雨乞小町』『清水小町』がそれで、
最後の二つ以外は今でもよく上演されているようです。

『鸚鵡小町』では小町は百歳の老女の姿。
すでに美女の面影はなく、関寺の近くで寂しい暮らしをしています。
そんな小町のもとに、陽成院(ようぜいいん)に仕える
大納言行家(だいなごんゆきいえ)が訪れます。

行家は帝から託されたある歌を携えていました。

雲の上はありし昔に変はらねど 見し玉簾(たまだれ)の内やゆかしき

宮中はあなたのいらっしゃった昔のままですが
かつて見た玉簾の中のようすを知りたくはありませんか

老女小町は返歌をただ一字で申し上げましょうと言い、
行家を驚かせます。

その一字とは「ぞ」。

雲の上はありし昔に変はらねど 見し玉簾の内ぞゆかしき

宮中は昔のまま変わらないでしょうが
かつて見た玉簾の中のようすを知りたいと思います

「や」を「ぞ」と置き換えただけで、
「知りたくはないか」「知りたいです」の応答になったわけです。

小町はこれこそが鸚鵡返し(おうむがえし)なのだと教え、
序舞(じょのまい)を舞って去っていきます。

老いてなお才能ゆたかな小町。
作者の敬慕の念がうかがえる曲です。