読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【15】百人一首鳥類学


小倉山の鳥たち

恋の歌が多い小倉百人一首、
自然を詠ったものは少なく、第一回に書いたように、
鳥では鶯(うぐいす)も雁(かり)も出てきません。

詠われているのは下記の5種類のみ。

・山鳥(やまどり)
・鵲(かささぎ)
・鶏(にわとり)
・千鳥(ちどり)
・時鳥(ほととぎす)

少ないとはいえ、和歌にはおなじみの鳥たちです。


どろぼうか愛の天使か

かささぎはヨーロッパでは不吉な鳥とされているそうです。
金属など光るものを集めるといわれ、
ロッシーニのオペラ『どろぼうかささぎ』では
かささぎが銀のスプーンを盗んだせいで
ヒロインが窮地に追い込まれてしまいます。

ところが東アジアではめでたい鳥になっていて、
朝鮮半島ではかささぎの鳴き声が聞こえると
親しい人が訪れると考えられているとか。

中国でも男女を結びつける縁起のよい鳥で、
七夕(たなばた)の夜、かささぎが翼を連ねて天の川に橋を架け、
織姫がそれを渡って彦星に逢いに行くという伝説があります。

かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける
(六中納言家持)

かささぎが天の川に渡す橋に降りた霜の白いのを見ると
天上の夜も更けてしまったのだなぁ

家持の歌は橋を宮中の階(はし)にたとえているという説もあり、
だとすると作者は地上の霜を見ていることになります。
季節からいっても天の川はうっすらとしか見えなかったでしょう。

大伴家持(おおとものやかもち)は
『万葉集』に480首が収められている大歌人。
しかしこの歌は『万葉集』には見当たらず、
『新古今集』から採られたこの歌が家持の真作かどうかは疑問です。

また『万葉集』の七夕の歌にかささぎを詠んだものはなく、
ほとんどの歌で、彦星は天の川を船で渡って
織姫のもとへ行くことになっています。
家持の時代には、かささぎの伝説は知られていなかったようなのです。

和歌にかささぎが現われるのは平安時代から。
ただ実物のかささぎは秀吉の時代に
朝鮮半島からもたらされたといいますから、
歌人たちにとっては、まだ想像上の鳥に過ぎなかったのかも知れません。

清少納言の父、清原元輔(四十二)に
こういう七夕の歌があります。

天の河扇の風に霧はれてそらすみわたる鵲のはし
(拾遺集雑秋清原元輔)

天の川は扇であおいだ風で霧が晴れ
空が澄みわたってかささぎの橋もよく見えることよ

平安時代は今の日本では考えられないくらいに、
きれいな星空が見えたにちがいありません。


夏のメッセンジャー

時鳥・郭公・子規・杜鵑・田鵑・霍公鳥・不如帰…、
これらはすべて「ほととぎす」と読みます。
「郭公」はふつう「かっこう」ですが、昔はほととぎすをあらわし、
かっこうは閑古鳥(かんこどり)だったようです。

ほかに魂迎え鳥、冥途の鳥という名もあり、名前の多さからも
ほととぎすは日本人の生活に密接な鳥だったことがわかります。

ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞのこれる
(八十一後徳大寺左大臣)

ほととぎすの鳴いた方を眺めると
もはやその姿はなくてただ有明の月だけが残っている

作者は藤原実定(ふじわらのさねさだ)で、
藤原定家のいとこにあたります。

ほととぎすは古来夏を告げる鳥であり、
その鳴き声は田植えを始めたり山芋を掘ったりする合図でした。
一方で鳴き声をまねすると血を吐いて死ぬと伝える地方もあり、
霊的なものを感じる人たちもいたようです。

しかし平安貴族はちがいました。
ほととぎすの初音を聴きたくて、
のんびり明け方まで待っていたのです。

百人一首歌人の相模(六十五)の場合は

聞かでただ寝なましものを郭公なかなかなりや夜はの一こゑ
(新古今集夏相模)

聞かずにそのまま寝てしまえばよかったのにほととぎすよ
なまじ夜半の一声を聞いたばかりに心残りだこと

寝ないで待っていたのに一声しか鳴かなかったと、
残念がっています。


卯の花とほととぎす

ところで、歌人の佐佐木信綱が作詞したこの歌をご存知でしょうか。

卯の花のにおう垣根に
ほととぎす早も来鳴きて
忍び音もらす夏は来ぬ♪

おなじみ『夏は来ぬ』ですね。

大江匡房(おおえのまさふさ七十三)に
卯の花とほととぎすを詠んだ一首があります。

卯の花のかきねならねど時鳥月のかつらのかげになくなり
(新古今集夏前中納言匡房)

卯の花の垣根ではないがほととぎすが
月に照らされた葵桂(あおいかつら)の陰で鳴いている

定番は卯の花との組合せだったのでしょうか。
祭の使いで上賀茂神社の神館(かんだち)に滞在中、
卯の花の垣根でなくて、祭の飾り物の陰から
匡房はほととぎすの鳴き声を聞いたのです。

卯の花とほととぎすの組合せは『万葉集』にも多くあります。

うのはなもいまだ咲かねばほととぎす佐保の山辺に来鳴きとよもす
(万葉集巻第八大伴家持)

卯の花はまだ咲かないのに
ほととぎすが佐保山辺りに来てしきりに鳴いている

また卯の花の垣根も古くから作られていたらしく、こんな歌も。

うぐひすの通ふ垣根のうのはなの憂きことあれや君が来まさぬ
(万葉集巻第十よみ人知らず)

うぐいすの通ってくる垣根は卯の花だけど
憂いことでもあるのかあなたはやって来ないのね

『夏は来ぬ』のルーツが『万葉集』にまでさかのぼれるとは、
ちょっと驚きじゃありませんか。