『小倉百人一首』
あらかるた
【23】枕詞と序詞のちがいは?
枕詞に意味はない?
和歌の初心者がとまどうもののひとつが
「枕詞(まくらことば)」ではないでしょうか。
意味がわからない。
現代語に置き換えられない。
31文字しかないのになぜ無意味なものを入れるの…。
いやいや、かつては意味があったのです。
特定の枕詞が特定の単語、熟語を修飾するのは、
『古事記』や『日本書紀』にも見られる古い習慣でした。
『万葉集』も枕詞が多いことで知られます。
「奈良」にかかる枕詞「あをによし」は「青丹よし」と書いて、
奈良地方で採れる青丹(=青土)のことだとされています。
奈良の特徴をとらえて賛美しているのですね。
「夜」や「髪」など黒いものにかかる「ぬばたまの」は
「ぬばたま」と呼ばれる黒い草の実からきているそうで、
ぬばたまのように黒いという比喩を効かせていることになります。
さて、百人一首に出てくる枕詞と被枕(導かれる語句)は
・しろたへの→衣、雪
・あしひきの→山
・ちはやぶる→神
・ひさかたの→光、雲居
このうち白いものにかかる「しろたへの」は
楮(こうぞ)などの繊維で織った白い布
「白妙/白栲」を指すとわかっていますが、
「あしひきの」はもはやさっぱり意味不明。
「ひさかたの」の意味も定説はないようです。
わたのはらこぎいでてみれば久方の雲ゐにまがふ沖つ白波
(七十六法性寺入道前関白太政大臣)
海原に舟を漕ぎ出して眺めやると
雲と見紛うほどに沖の白波が立っていることだ
天に関係する語句にかかるので、
「はるかかなたにある」とか「ずっと昔からある」とか、
あるいは「永久につづく」といった意味があるのでしょう。
意味があるからといって、
いちいち現代語に訳してしまうと
かえってわかりにくくなってしまうのが枕詞。
現代語にしたとき無視されているのは、そういう理由です。
平安時代は枕詞の衰退期?
百人一首に出てくる枕詞は少なく、
それも古い時代の歌に片寄っています。
平安時代になるとあまり使われなくなったためです。
すでに意味がわからなくなっていたからか、
オリジナリティが発揮しづらいからか、
おそらく両方でしょう。
いそのかみふりにし人をたづぬれば荒れたる宿に菫摘みけり
(新古今集雑歌能因法師)
長く会わなかった人を訪ねてみたら(その人はおらず)
荒れ果てた家の跡にすみれを摘んでいる人がいたことよ
能因法師(六十九第五話に既出)が
旧知の人を訪ねたときに詠んだ歌です。
「いそのかみ」が枕詞で、大和の石上(いそのかみ)に
布留(ふる)という地名があったため、
「降る」「古る」にかかるというのがお約束。
あまり使われなくなったとはいえ、
消滅したわけではありません。
万葉調を重んじた斉藤茂吉(1882-1953)の歌集
『赤光(しゃっこう)』(大正2年刊)には
このような印象深い歌が収められています。
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて
足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり
(斎藤茂吉 歌集「赤光」)
「たらちね」は「母」にかかる枕詞で、「垂乳根」とも書きます。
この言葉があることで、死にゆく母への思いが深くなっています。
もう一首、茂吉の作品を。
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
(斉藤茂吉歌集「あらたま」)
「たまきはる」は「たまきわる」と読みます。
「魂きわまる」の意味だといいますから、
作者の決心、強い使命感が詠われているのでしょう。
序詞のサンプル
序詞(じょし/じょことば)は
ある語句を導き出すという点では枕詞と同じ。
しかし長さに制限はなく、何を導くかも決まっていません。
それだけにオリジナリティを発揮しやすく、
工夫を凝らした序詞がいくつも作られました。
百人一首には都合よく
三つのタイプがそろっています。
1)比喩を活かすタイプ
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜を一人かも寝む
(三柿本人麻呂)
山鳥の垂れた尾羽のように長い長い夜を
わたしも(あなたなしで)ひとりで寝るのだろうか
第3句までが「ながながし」を導く序詞です。
山鳥は雉(きじ)に似たシルエットで尾が長いのが特徴。
それはともかく、ただ長い夜を導くために、
関係のない山鳥を出したわけでもないのです。
山鳥は山の奥の谷あいに雌雄が左右に分かれて棲み、
妻問い(雄が雌に逢いに行く)すると考えられていました。
夜は別々に寝るというので、
ひとり寝の寂しさを表すのによく使われました。
2)掛詞を活かすタイプ
立ち別れいなばの山の峯におふるまつとし聞かば今かへり来む
(十六中納言行平)
あなたと別れて因幡の国へ行きますが山の峰に生えている松のように
あなたが待っていると聞いたならすぐにでも帰ってきましょう
これも第3句までが序詞です。
「松」と「待つ」を掛けたわかりやすい例です。
「因幡山」は歌枕(第五話参照)でもあります。
3)同音反復タイプ
かくとだにえやは伊吹のさしも草さしもしらじな燃ゆる思ひを
(五十一藤原実方朝臣)
「これほどに」とも告白できないわたしの
伊吹山のさしも草のように燃える思いをよもやご存じないでしょう
第3句までの序詞で「さしも」を導いています。
「さしも草」と「さしも」で同音反復。
「言ふ」と「伊吹」を掛け、「思ひ」と「火」を掛け、
さらに「さしも草(よもぎ)」の縁語「燃ゆ」を使うという
技巧をつくした恋の歌です。ちょっとしつこいですが…。
ちなみにさしも草は艾(もぐさ)の原料で、
伊吹山の名産でした。
叙景→叙情の転換を楽しむ
序詞はやりすぎると技巧の見せびらかしになってしまい、
共感を得にくくなってしまいます。
次第に廃れてしまったのも、そんな理由かも知れません。
でも百人一首に収められた
源等(みなもとのひとし)の歌はどうでしょうか。
浅茅生(あさぢふ)の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき
(三十九参議等)
浅茅の生える小野の篠原の篠ではないがもう忍びきれない
どうしてこれほどにあなたが恋しいのでしょう
「小野の篠原」までが序詞で「しのぶ」を導いています。
野原の光景を詠っているかと思うと
自然な流れでせつない恋の思いに転じ、見事ですね。