『小倉百人一首』
あらかるた
【七夕特別編】星空に願いを
星空のラブロマンス
百人一首には大伴家持(おおとものやかもち)の
このような歌が収められています。
かさゝぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば 夜ぞ更けにける
(六 中納言家持)
かささぎが天の川に渡す橋に降りた霜の白いのを見ると
天上の夜も更けてしまったのだなぁ
七月七日の夜、天の川にかささぎ(鵲)が集まって翼をつらね、
それを橋にして織姫が彦星に会いに行くという伝説がありました。
中国から伝わったこの七夕伝説は『万葉集』にも数多く詠われており、
日本人には古くからおなじみだったことがわかります。
しかしこれが平安時代になると、女の方から男に会いに行くという話が
男が女に会いに行くかたちに変わりはじめます。
かささぎの橋も詠われなくなり、彦星は船で天の川を渡ることに。
当時の日本にかささぎがいなかったためと考えられています。
久方のあまの河原の渡し守 きみ渡りなばかぢ隠してよ
(古今和歌集 秋 よみ人知らず)
彦星が船で天の川を渡ってきたら、
帰れないように楫(かじ)を隠してほしいという
織姫の心を詠ったもの。
それに対し、壬生忠岑(みぶのただみね 三十)の次の歌は
織姫に会いに来た彦星が詠んだものです。
けふよりは今こむ年の昨日をぞ いつしかとのみ待ちわたるべき
(古今和歌集 秋 壬生忠岑)
七月八日の朝、織女のもとを去る彦星の歌。
今日からは今度来る年の昨日、つまり来年の七月七日を
いつ来るかいつ来るかと待ち続けることになるだろうというのです。
年に一度しか会えないのは、彦星との結婚生活に夢中になった織姫が
機織(はたおり)の仕事をさぼるようになったから。
それに怒った天帝が天の川で二人を隔て、
年に一度しか逢えなくしてしまったのでした。
願いを込めた星祭
願いごとを書いた短冊を竹に吊るすのは
七夕の日に技芸の上達を祈ったことに由来します。
織女にかしつる糸の うちはへて年の緒ながく恋ひやわたらむ
(古今和歌集 秋 凡河内躬恒)
「織女」はここでは「たなばた」と読みます。
「貸しつる糸」は織姫に供えた糸のことで、
その糸のようにうちはえて(=長いあいだ)恋するだろうというのです。
この歌から、七夕の日に機織や裁縫の上達を願って
供え物をしていたことがわかります。
七夕は「棚機」とも書くように、
日本古来の棚機津女(たなばたつめ=織女)伝説と結びついています。
またこの日は文字の上達を祈って
庭に立てた竹の枝葉に歌などを書いた五色の短冊を飾る習慣がありました。
旧暦七月を文月(ふづき/ふみづき)と呼ぶのは
そのためとも考えられています。
旧暦の七月は初秋にあたります。
はるか昔から、人々は梅雨が終わった美しい星空を見上げて、
織姫彦星の恋物語に思いを馳せ、願いごとを託してきました。
現在の七夕は毎年お天気が気になりますが、
今年は天の川が見られるでしょうか。
星が見えたら、どんな願いごとをしましょうか。