読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【149】大堰川の秋


貴賤遊覧の地

大井川というと静岡の「越すに越されぬ」大井川が有名です。
しかし王朝和歌に詠まれるのはほとんどが京都の大井川。
現在は「大堰川」と書くのが一般的ですが、
かつては「大井河」「大井川」などと表記されていました。

大井河うかべる舟のかゞり火に をぐらの山も名のみなりけり
(後撰和歌集 雑 業平朝臣)

大堰川(おおいがわ)に浮かぶ船の篝火に照らされ、
(小暗いという)小倉山は名ばかりになってしまったという
在原業平(ありわらのなりひら 十七)の一首。
平安時代の貴族たちは大堰川に船を浮かべて
管弦の遊びに興じていたと伝えられます。

大堰川の名は五世紀の末頃、渡来人の
秦氏(はたうじ)が築いた堰(せき)に由来します。
これは取水堰であり、ここから用水路に水を引いて、
秦氏は流域の開発を行っていました。
堰の位置は渡月橋(とげつきょう)の近くだったようです。

大堰川の遊覧を楽しんでいたのは貴族だけではありませんでした。
大堰川に紅葉を見に行った俊恵(しゅんえ 八十五)は
このように詠んでいます。

けふ見れば嵐の山は おほゐ川もみぢ吹きおろす名にこそありけれ
(千載和歌集 秋 俊恵法師)

今日見れば、嵐山というのは大堰川に
紅葉を吹きおろすという意味の名前だったのだと。
山の風、つまり嵐が吹いて川面に紅葉が散っていたのでしょう。
嵐山は大堰川をはさんで小倉山の対岸にあり、
今に至るまで紅葉の名所です。


水運にも使われた大堰川

同じ大堰川の紅葉でも、
壬生忠岑(みぶのただみね 三十)の歌は
ひねりが効いています。

色いろの木の葉流るゝ大井河 下は桂のもみぢとや見ん
(拾遺和歌集 秋 壬生忠岑)

さまざまな色の木の葉が大堰川を流れているけれど、
下(しも=下流)ではそれを桂の紅葉だと見るだろう。

大堰川は嵐山を境に桂川と名を変えます。
桂川は月の名所として知られていますが、
月には桂の木が生えているという中国の伝説から、
桂という地名、川の名がつけられたそうです。

忠岑はそれを踏まえ、
上流で見る人はいろいろな木の紅葉と知って見ているが、
下流の人は月の桂が散って流れていると思うだろうと。

最後はその桂に別業(べつぎょう=別荘)のあった
源経信(みなもとのつねのぶ 七十一)です。

大堰川いはなみ高し 筏士よ岸の紅葉にあからめなせそ
(金葉和歌集 秋 大納言経信)

大堰川は岩に砕ける波が高い。
筏士(いかだし)よ、岸の紅葉に気をとられるなよ。
経信が注意を促したのは上流で伐り出した木材を
筏に組んで下流に運ぶ筏士。

大堰川の一部は保津峡と呼ばれる急流になっており、
今は保津川下りの観光地ですが、
江戸時代になるまでは丹波の木材を筏流しで運んでいました。
舟遊びをしている側の経信が筏を生業(なりわい)とする人を
思いやっているのが興味深いところです。