読み物

ちょっと差がつく
『百人一首講座』

【2001年1月20日配信】[No.013]

【今回の歌】
中納言行平(16番) 『古今集』離別・365

たち別れ いなばの山の 峰に生ふる
まつとし聞かば 今帰り来む

たとえば、飼っていた猫が行方不明になった時、おばあさんなどが、この歌を短冊に書いて、猫の皿を伏せてその下に置いておくのを見たことがありませんか?
この歌は、別れを惜しむ歌ですが、一方でいなくなった人や動物が戻ってくるように願う、おまじないの歌でもあります。


現代語訳

お別れして、因幡の国へ行く私ですが、因幡の稲羽山の峰に生えている松の木のように、私の帰りを待つと聞いたなら、すぐに戻ってまいりましょう。


ことば

【たち別れ】
「たち」は接頭語。行平は855年に因幡(いなば)国(現在の鳥取県)の守となりました。その赴任のための別れを表しています。 
【いなばの山】
因幡の国庁近くにある稲羽山のこと。「往なば(行ってしまったならの意味)」と掛詞になっています。

 

【生(お)ふる】
動詞「生ふ」の連体形。生える、という意味です。

 

【まつとし聞かば】
「まつ」は「松」と「待つ」の掛詞。「し」は強調の副助詞、「聞かば」は仮定を表します。全体では「待っていると聞いたならば」の意味となります。

 

【今帰り来む】
「今」は「すぐに」を意味しており、「む」は意志の助動詞。「すぐに帰ってくるよ」という意味です。

作者

在原行平(ありわらのゆきひら。818~893)

平城(へいぜい)天皇の皇子・阿保(あぼ)親王の子で、業平の異母兄にあたります。文徳天皇の御代の850年ごろ、過失をおかして一時期須磨に流されたことがありました。


鑑賞

855年の春、行平が因幡守に任ぜられ、赴任地へ向かうときに、送別の宴で詠んだ挨拶の歌です。
お別れですが、因幡国・稲羽の山に生える松のように「待っているよ」と言われたならば、すぐにでも帰ってきましょうぞ。
都から遠く離れた地方都市へ赴任する自分の身を思い、都への断ちがたい思慕を詠んだせつない歌です。別れの名句といえるでしょう。

冒頭で紹介したように、この歌は「別れた人や動物が戻って来るように」と願掛けをするときに使われる有名な歌です。
ユーモアエッセイの名手、内田百間(門に月の字)の本に「ノラや」という連作エッセイがあります。その中でいなくなった愛猫、ノラが戻って来るように、このおまじないをするシーンがあります。

この歌の切なさが、いなくなった動物へ寄せる思いに通じ、こうしたおまじないが生まれたのでしょう。
もし飼い猫がいなくなった時には、試してみてください。

この歌の舞台となった因幡の国庁は、現在の鳥取県岩美郡国府町にあります。行くときは山陰本線の鳥取駅で下車し、中河原・栃本方面行きのバスに乗り、宮ノ下で降ります。
宮ノ下バス停からは、稲葉山(標高249m)まで続く4.8kmの登山コースがあり、武内宿弥命(たけのうちのすくねのみこと)を祭神とする「宇倍神社」や、宮下古墳群を通り、最後に在原行平の塚に到達します。稲葉山は国守・大伴家持も歌に詠んだ名勝で、新緑や紅葉時の自然散策を楽しめます。
付近には大伴家持ゆかりの古跡と歌を記念した、「稲葉万葉歴史館」もありますので、一度訪れられてはいかがでしょうか。