読み物

ちょっと差がつく
『百人一首講座』

【2001年1月30日配信】[No.014]

【今回の歌】
伊勢(19番) 『新古今集』恋一・1049

難波(なには)潟 みじかき芦の ふしの間も
逢はでこの世を 過ぐしてよとや

今では女の人がずいぶん強くなった、なんて言われますが、やはり男と女の恋心はいつの時代も変わらないもの。平安時代は、女の家へ男が訪れる形式で恋愛が行われていましたので、逢えないつらさはひとしおだったでしょう。厳寒の今日この頃のようなつらい恋慕の情を歌った歌を紹介しましょう。


現代語訳

難波潟の芦の、節と節との短さのように、ほんの短い間も逢わずに、一生を過ごしてしまえと、あなたは言うのでしょうか。


ことば

【難波潟】
今の大阪湾の入り江の部分のこと。昔は干潟が広がり、芦がたくさん生えていて、名所のひとつになっていました。「潟」は潮が引いた時に干潟になる遠浅の海のことです。

 

【みじかき芦の】
「芦」は水辺に生えるイネ科の植物。高さ2~4mになります。
「難波潟 みじかき芦の」までが、この歌の序詞。

 

【ふしの間も】
掛詞で、芦の「節(ふし)」の短さと、逢う時のほんのわずかな時間、という意味を掛けています。

 

【逢はでこの世を】
「世」は人生や男女の仲などさまざまな意味を持ちます。ここでは男女から人生の意味まで複数の意味をかけます。また「世」は「節(よ)」と音が重なり、「節(ふし)」とともに芦の縁語。

 

【過ぐしてよとや】
一生を過ごしてしまえと、あなたは言うのでしょうか、という意味。「てよ」は完了の助動詞「つ」の命令形です。

作者

伊勢(いせ。877~938?)

紀貫之と並び称されることもあった、古今集時代の代表的歌人。
伊勢守藤原継蔭(つぐかげ)の娘。宇多天皇の中宮温子(おんし)に仕えましたが、温子の兄の仲平との恋に破局。その後宇多天皇の皇子を生み、伊勢御息所(みやすどころ)となりました。その後、さらに宇多天皇の皇子・敦慶親王とも結ばれ、女流歌人の中務(なかつかさ)を生んでいます。


鑑賞

この歌の作者、伊勢は、平安時代の代表的歌人で、作者紹介にもあるように、宇多天皇の中宮温子の兄の仲平、宇多天皇、さらに宇多天皇の皇子・敦慶親王と結ばれるなど、恋多き女性として名をはせた閨秀歌人です。
多感なゆえ、数奇な人生を送りましたが、その奔放ともいえる恋は、現代女性にも共感できるところではないでしょうか。

こんなにも恋したっているのに、ほんのわずかばかりの時間も逢ってくれないあなた。このまま人生を逢えないまま、過ごしてしまえとおっしゃるのでしょうか?
この歌は、逢いに来てくれず結ばれない男への思慕を、難波潟の芦の節の短さにたとえた、鋭い感性が感じられる歌で、伊勢の激情を感じさせてくれます。

難波潟は、大阪湾の入り江のあたりの遠浅の海を指します。現在の大阪湾は人工埠頭の建設などが進み、かつての干潟の味わいを残す風景にはなかなか出会えないのが実状です。
ただし、大阪市・淀川の下流、長江橋のあたりには、かろうじて昔の難波潟の風情が見られるかもしれません。
現在の大阪湾には、海遊館などをはじめ、多くのレジャースポットやビジネスセンターが建ち並んでいます。難波潟の歌を味わいながらも、お子さん連れでレジャー施設に遊びに行かれるのはいかがでしょうか。