ちょっと差がつく
『百人一首講座』
【2001年10月10日配信】[No.039]
- 【今回の歌】
- 素性法師(21番) 『古今集』恋4・691
今来むと 言ひしばかりに 長月(ながつき)の
有明(ありあけ)の月を 待ち出(い)でつるかな
10月は名月を楽しむ月です。中秋の名月は1日でしたが、秋の月は夜闇の深さに良く合う、大きく明るい姿を現します。
この歌は9月の歌ですが、長い秋の夜の明け方、空が白々と明けるまで待っていてついに待ち人が来てくれなかった女の寂しさを表現しています。
あなたの待ち人は現れましたか?
現代語訳
「今すぐに参ります」とあなたが言ったばかりに、9月の夜長をひたすら眠らずに待っているうちに、夜明けに出る有明の月が出てきてしまいました。
ことば
- 【今来むと】
- 「今」は「すぐに」の意味で、「む」は意志を表す助動詞です。
「来む」というのは、平安時代には男を待つ側であった女性の立場での表現です。 - 【言ひしばかりに】
- 「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、「ばかり」は限定の助動詞です。全体で「(男がすぐ行くと)言ってよこしたばかりに」という意味を表します。
- 【長月】
- 陰暦の9月で、夜が長い晩秋の頃です。
- 【有明の月】
- 夜更けに昇ってきて、夜明けまで空に残っている月のこと。満月を過ぎた十六夜以降の月です。
- 【待ち出でつるかな】
- 「待ち出づ」は「待っていて出会う」という意味で、それに完了の助動詞「つる」の連体形と詠嘆の終助詞「かな」がついています。「待ち」は自分が待っていることで、「出で」は月が出てきたことを示します。要するに、男が来るのを待っているうちに月が出てしまったことをまとめて言った表現です。
作者
素性法師(そせいほうし。生没年不明)
俗名・良岑玄利(よしみねのはるとし)。9~10世紀初頭にかけて生きた人で、百人一首12番に歌が残る僧正遍昭(良岑宗貞=よしみねのむねさだ)の子。清和天皇の時代に左近将監(さこんのしょうげん)まで昇進しましたが、父親の命令で出家して雲林院(うりんいん)別当に任ぜられ、大和国石上(現在の奈良県天理市)の良因院の住持となりました。三十六歌仙の一人で、宇多天皇の時代に上皇の御幸で歌を詠むなど活躍しています。
鑑賞
あの人は「すぐ行きます、待っててくださいね」なんて言ったのに。優しそうな人だったのにな。
結局私は待ちぼうけ。夜遅くなってもあの人は来ないし、眠らずに待ってたら、出てきたのは夜更けの有明けの月だけ。普通なら男が帰っていく時刻じゃないの。結局、月を待って夜を過ごしたことになるのかあ。
あたしっていったい何なんだろう…。
現代風に情景を読んでみれば、こんなところになるでしょうか。
女心と秋の空、何て言いますが、男の約束もあてになりませんね。
百人一首ではおなじみの恋に身をこがす歌のひとつですが、この歌には毎夜袖が乾かない、といった泣き暮れるような激情ではなく、どこか呆れたような独特のやるせなさが感じられます。
少し間が抜けているところに味があり、テレビドラマでいうなら、桃井かおりや最近なら深津絵里といった実力派の女優さんに、「あーあ、あたしったら期待してバカじゃないの~。月が出てきちゃったあ」と嘆かせたら似合うでしょうね。
撰者・藤原定家は、この歌の「月来(つきごろ)」説を唱えました。一夜待っていただけではなく、何カ月も待ったあげく、ついに9月の有明の月を見るに至った、という解釈です。こうなると歌の内容はぐっと重くなり、演歌のような情念の深さを感じます。しかし冒頭で男が「今来む」と軽く言っていることから、そこまでの歌ではなく、一夜をすっぽかされた女のやるせない心を表現したと考える方が一般的のようです。
それにしても、百人一首の恋歌は現代風の解釈が十分通じるほど魅力に富んでいるといってよいでしょう。男と女の心が、千年変わらない、と思う方が適切なのかもしれませんが。
この歌の作者、素性法師は現在の奈良県天理市、大和国石上の良因院の住持となりました。天理市には、万葉の時代からあり国宝「七支刀」(ななさやのたち)など多くの宝物を収める石上神社や、空海が開いた長岳寺、崇神天皇陵、景行天皇陵などの大和朝廷時代の古墳といった名勝旧跡を巡る「山の辺の道ハイキングコース」があります。全長10キロ以上ある長いコースですが、ハイキングが大好きな方、大和朝廷時代の歴史に触れたい方にはもってこいのコースといえます。
訪れる場合は、JRか近鉄に乗って天理駅で下車し、東へ歩いて行かれると良いでしょう。