読み物

ちょっと差がつく
『百人一首講座』

【2000年9月15日配信】[No.002]

【今回の歌】
貞信公(26番) 『拾遺集』雑集・1128

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ

第2回目は、紅葉の秋にふさわしく、弊庵「小倉山荘」にもなじみ深い嵯峨の小倉山を歌った貞信公の歌のご紹介です。



現代語訳

小倉山の峰の紅葉よ。お前に人間の情がわかる心があるなら、もう一度天皇がおいでになる(行幸される)まで、散らずに待っていてくれないか。


ことば

【小倉山】
京都市の北西にある、右京区嵯峨にある紅葉の美しい名所です。
大堰川を挟んで嵐山と向かい合う山で、ふもとに定家の別荘、「小倉山荘」がありました。
【心あらば】
人間の心があるならば、人の情が分かるならば、の意味。紅葉に呼びかけることで、紅葉を人になぞらえる、いわゆる「擬人法」をとっています。

  

【今ひとたびの】
せめてもう一度だけ。切実な感情が表れた表現ですね。
【行幸(みゆき)】
天皇が訪れられることです。「みゆき」には他に「御幸」の表記もありますが、こちらは上皇、法皇、女院のおでましの意味となります。
【待たなむ】
「なむ」は願望を表す終助詞で、「待っていてくれないか」の意味です。

作者

貞信公(ていしんこう=藤原忠平(ただひら)。880~949年)。

関白太政大臣、藤原基経(もとつね)の四男で、兄・時平、仲平とともに「三平」と呼ばれます。聡明で人柄が良く、従一位関白の座まで栄達し、藤原氏が栄える基礎を作りました。貞信公は、死んでからの送り名です。


鑑賞

「あまりに美しい小倉山の紅葉よ。もし人の心が分かるなら、もう一度天皇がおいでになるまで、その美しさを失わないでおくれ」。あまりの紅葉の美しさに感動して、口をついた言葉のようでもありますね。
この歌は、「拾遺集」の詞書(ことばがき・短歌の紹介文)に、亭子院(時の宇多上皇)が大堰川に遊ばれた時、見事な小倉山の紅葉に感動して、「我が子、醍醐(だいご)天皇にもこの紅葉をぜひ見せたいものだ」と言ったのを、貞信公が醍醐天皇に伝えたくて作ったもの、と書かれています。

貞信公は、藤原氏が栄える基を作った大人物。天皇にも当然影響力を持つ政治家でした。ここでは、紅葉を人になぞらえて歌っていますが、逆に見ると「天皇陛下、紅葉は今が盛りです。美しい今のうちに、行幸されればいかがでしょうか」と、暗に天皇陛下に紅葉見物を勧めている歌なのです。しかし、百人一首に残るような名歌で天皇を動かすなど、古の政治家は雅を解する心にあふれていたのでしょうか。

「大和物語」によると、ちょうどこの歌ができた頃から、大堰川への天皇の行幸が毎年執り行われることになったそうです。
「小倉山」は、大堰川(保津川)を挟んで嵐山の北に位置する標高280mの低い山です。京福電鉄北野線・嵐山駅で下車し、北東に歩くと、こんもり丸い小倉山が典雅なたたずまいを見せてくれます。この辺りは、すでに平安時代から貴族のレジャーの場所として人気がありました。
秋に山道を歩けば、重なりあう紅葉の美しさが際立ち、平安時代の昔に戻ったかのような気分にしてくれます。また、藤原定家の「小倉百人一首」が屏風に書かれていたという、「小倉山荘」はこの山の東のふもと、二尊院の近くにあったとされています。
弊庵「小倉山荘」は、遠くに赤く色づく小倉山を望む長岡京から、銘菓をお届けしているのです。