ちょっと差がつく
『百人一首講座』
【2002年12月20日配信】[No.091]
- 【今回の歌】
- 源宗于朝臣(28番) 『古今集』冬・315
山里(やまざと)は 冬ぞ寂しさ まさりける
人目(ひとめ)も草も かれぬと思へば
年の瀬もおしつまってきました。
新年ももうすぐそこです。
年賀状の準備はもうお済みでしょうか?
さて、22日は冬至。一年で一番昼日の当たる時間が短く、夜が長い日です。太陽の高度が一年で一番低くなるためです。
冬至は昔からある暦の上での区切り「二十四節気」のひとつ。
古来からの慣習で、この日にかぼちゃやこんにゃくを食べると中風や風邪にかかりにくい、といいます。かぼちゃは朝のうちに食べるとよいとも言われます。
また、ゆずを入れたお風呂、ゆず湯に入ると中風になりにくいということです。冬至に銭湯へ行くと、ゆずを入れた袋が湯船に浮かんでいたりします。このような古来の慣習を目にすると、なにか嬉しい気持ちになります。あなたもゆず湯を立ててみてはいかがでしょうか。
さて今回は、もの寂しい冬の山里を歌った一首です。
現代語訳
山里は、ことさら冬に寂しさがつのるものだった。人の訪れもなくなり、草木も枯れてしまうと思うから。
ことば
- 【山里は】
- 係助詞「は」は他と区別する意味があります。都ではなく山里は、という意味になります。
- 【冬ぞ寂しさ まさりける】
- 「ぞ」は強意の係助詞で、「季節の中で冬が一番」というような意味になります。他の季節よりずっと、という意味です。
「寂しさ」は「孤独だ」とか「寒々として寂しい」という意味になります。また「まさり」は動詞「まさる」の連用形で「増す」「つのる」という意味です。「ける」は詠嘆の助動詞で「ぞ」を受けた係り結びです。 - 【人目(ひとめ)も草も】
- 「人目」は人のことで、人も草もすべての生き物が、という意味になります。
- 【かれぬと思へば】
- 「かれ」は「離れ」と「枯れ」の掛詞で、人が訪問しなくなる意味の「離る」と木が枯れる「枯れ」の二重の意味があります。
「思へば」は倒置法で、最初の「山里~」に続きます。
作者
源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん。9世紀末~939)
光孝天皇の孫で是忠(これただ)親王の息子です。894年に臣籍に下って源姓を賜りました。三十六歌仙の一人で、紀貫之などと仲が良かったようですが、出世に恵まれず不遇でした。丹波・摂津・信濃などの権守となっています。
鑑賞
冬の寒さや心細さがしみじみ感じられる一首です。
古今集の詞書には「冬の歌とて詠める」とあり、今の時期にぴったりの歌と言えそうですね。
訪れてくれる人もいなくなり、草も枯れ果てて葉の落ちた木々の枝に雪が積もるような山里の冬。
都と違って人の気配が消え、生命の様子が見えなくなった山里の寂しさがつのるのが肌で感じられるようです。
この歌には本歌があります。藤原興風が是貞親王歌合の時に詠んだ一首がそれです。
秋くれば 虫とともにぞ なかれぬる 人も草葉も かれぬと思へば
「かれぬと思えば」という句に、人のいなくなる「離(か)る」と草木が枯れる「枯る」の意味が掛詞として掛けられているのが同じですね。本歌の方は秋になっていますが、宗于のこの歌は、より「枯れる」というイメージが強い冬を選んでいるところに、工夫が感じられます。
作者の源宗于は、天皇の孫でありながら臣籍に下ったように地位が低く不遇だったようで、自らの境遇を嘆く歌などもよく詠んでいます。歌物語の「大和物語」にも右京太夫として登場し、そのような一首を詠んでいます。
おきつ風 ふけゐの浦に立つ浪の 名残にさへや我はしづまむ
(風よ 吹上げの浦に打ち寄せた波の残りの浅い水たまりにさえはかない我が身は沈んでしまう)
吹上の浦というのは、紀伊国吹上浜のこと。現在の和歌山県の紀ノ川河口あたりを言います。付近には天正年間に豊臣秀吉が築城した和歌山城があり、市内観光が楽しめます。
JR和歌山駅から歩いて8分ほどの距離です。