読み物

ちょっと差がつく
『百人一首講座』

【2001年10月30日配信】[No.041]

【今回の歌】
右近(38番) 『拾遺集』恋四・870

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
人の命の 惜しくもあるかな

ほれたはれたは男女の仲。恋に別れはつきもので、いつもたくさんの男女が相手の冷たさに泣かされていることでしょう。
しかし、めそめそ泣いているだけが能ではありません。泣きたい気持ちを抑えて、皮肉や嫌みのひとつも言ってやるのも心の強さです。そうして笑い飛ばすのも、失恋の痛みを忘れる良い方法かもしれません。
今回は、平安時代の女性のそんな強い一面をお目にかけましょう。


現代語訳

忘れ去られる私の身は何とも思わない。けれど、いつまでも愛すると神に誓ったあの人が、(神罰が下って)命を落とすことになるのが惜しまれてならないのです。


ことば

【忘らるる】
「忘(わす)る」は下二段活用の動詞ですが、ここでは古い形である四段活用で扱っています。「るる」は受け身の助動詞の連体形で、「忘れ去られる」という意味です。
【身をば思はず】
「身」は自分自身のことで、「を」は格助詞、「ば」は強意の係助詞「は」です。「を」に続く時には濁って「ば」となります。
「ず」は打消しの助動詞の終止形。ここで一文が終わります。
全体で「自分自身のことは何とも思わない」という意味。
【誓ひてし】
「て」は完了の助動詞「つ」の連用形で、「し」は過去の助動詞「き」の連体形です。以前、いつまでも君のことは忘れない、と神に誓った、という意味です。
【人の命の】
「人」は自分を捨てた相手のこと。上の句の「身」と対比的に使われています。
【惜しくもあるかな】
「惜し」は(男が神罰を受けて命を落とすので)失うにしのびないという気持ちを表します。

作者

右近(うこん。生没年不明)

右近少将藤原季縄(すえなわ)の娘。10世紀前半の人で、醍醐天皇の中宮穏子(おんし)に仕えた女房です。「右近」はその女房名です。天徳4(960)年の内裏歌合などに出て活躍し、歌才を謳われました。恋も華やかで、「大和物語」には、藤原敦忠(あつただ)・師輔(もろすけ)・朝忠(あさただ)、源順(みなもとのしたごう)などとの恋愛が描かれています。


鑑賞

「大和物語」の第84段には、
「おなじ女(右近)、男の忘れじと、よろづのことをかけて誓ひけれど、忘れにけるのちに、言ひやりける」
(男が「君のことは忘れない」とさまざまな誓いを立てたのに、女のことを忘れてしまった。その後に言い送った)
とあり、次にこの歌が掲載されています。
歌を送った相手は、藤原敦忠と推測されますが、「返しは、え聞かず」と記されています。

この歌は読みようによっては、いろいろな情念を感じさせる歌です。
あなたに忘れられる自分の身はどうなってもいいんです。でも神に誓った「君を忘れない」のひとことを破ったあなたの命がどうなるか、それが心配なのですよ。
歌はこのような意味です。この「私のことはどうでもいいのですよ。しかし…」と自分を捨てる言い方をしながら、なおも「あなたのことが心配で」というところに強い執着心を読みとると、ちょっと陰にこもった情念が感じられますね。
一方、これを一種の皮肉ととって、「あたしのことはどうでもいいの! でも「絶対忘れない」って神にまで誓ったあなたが神罰で死んでしまうのがとっても残念だわ!」なんていう風に読みとると、ちょっとイキのいい啖呵にも聞こえてきます。以前は前者のようななよなよした情念を感じさせる解釈が主体でしたが、今風の女性なら後者の方が気持ちがいいでしょう。
現代の女性は強くなくては。たとえ男に振られても、それを吹き飛ばすくらいの元気があってこそ魅力的といえるでしょう。

ただ、右近という人は前者の情念の人であったようで「貞女」という評判もありますが、男との関係はなかなか長続きしなかったようです。少しじめつきすぎたところがあったのかもしれませんね。
右近の歌には、やはり来ない男を待つものがあります。
とふことを待つに月日はこゆるぎの磯にや出でて今はうらみん

この「こゆるぎの磯」というのは、現在の神奈川県大磯の浜のあたり。大磯は、富士山を望む浜辺で、江戸時代に東海道五十三次の宿場町として栄え、その後日本最初の海水浴場が開設されて日本有数のリゾート地となっています。
大型プールのある「大磯ロングビーチ」などの施設やホテルなども多いリゾート地。一度遊びに行くのもいいでしょう。