ちょっと差がつく
『百人一首講座』
【2001年4月20日配信】[No.022]
- 【今回の歌】
- 権中納言敦忠(43番) 『拾遺集』恋二・710
逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
昔はものを 思はざりけり
ゴールデンウィークが近づいてきました。あなたはどこかへ出かけるのでしょうか?遊びに出るとしたら誰と出かけますか。恋人と?春は恋の季節、たとえ独りであっても、行く先のあちこちで偶然の出会いというものはあるものです。今回ははじめて想いを遂げることができて、いっそうつのる恋心の歌をご紹介しましょう。
現代語訳
恋しい人とついに逢瀬を遂げてみた後の恋しい気持ちに比べたら、昔の想いなど、無いに等しいほどのものだったのだなあ。
ことば
- 【逢ひ見ての】
- 「逢ふ」も「見る」も、男女が逢瀬を遂げたり、契りを結ぶ意味で使われる動詞です。
- 【のちの心】
- 逢瀬を遂げた後の気持ちです。今現在の心のことですね。
- 【くらぶれば】
- 「比べると」の意味で、動詞「くらぶ」の已然形に接続助詞「ば」がついたもの。確定の条件を表します。
- 【昔】
- 「のち」に対応する言葉で、逢瀬を遂げる前のことを表します。
- 【ものを思はざりけり】
- 「ものを思ふ」は恋のもの想いをする意味です。「ざり」は打消の助動詞の連用形で、「けり」は詠嘆の助動詞で、逢瀬を遂げる前の恋心なんて軽いものだということに、今はじめて気付いたという感動を表しています。
作者
権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ。=藤原敦忠 ふじわらのあつただ。906~943)
左大臣時平の3男で、母は在原業平の孫です。参議などを経て権中納言となりましたが、琵琶の名手でしたので権中納言と呼ばれました。恋多き人で、大和物語などからも彼の生き方を知ることができます。
鑑賞
恋愛とは罪なもので、出会った時には両想いになりたいと思って心が動くのに、ついに心が通って逢瀬を遂げ、一夜を共にしてみればまた激しく愛情がつのる。彼女の一挙一動が気になる。
こんなことならいっそ逢わなければ良かったのに。こんな感情に比べたら、逢瀬を遂げたいと思っていた以前なんて、何も考えていなかったのと同じだ。
激しい思慕の情を歌った歌です。しかも、何か現代人の心を揺り動かす、共感を感じたくなる歌ですね。時代は1000年違っても昔も今も男女の感情は同じもの。一途な激情を感じさせる名歌が多いのも、百人一首が皆に好まれる一因かもしれません。
この歌の作者、権中納言敦忠は、プレイボーイというより恋多きロマンチスト、といった感じの人です。京都・西四条の女性で、やがて神宮の斎宮(いつきのみや)となり神域へ入って出会えなくなる人に恋もしています。逢えなくなるその日、敦忠はこんな歌を榊の枝に結び付けて女性に贈りました。
伊勢の海の千尋の浜に拾ふとも今は何てふかひがあるべき
伊勢の広い浜辺で探して見ても、あえなくなった今は、何の貝(甲斐)も見つからない。むなしいだけだ。
さて、現在の三重県南西にある伊勢市は伊勢神宮があることで古くから有名です。JR宇治山田駅もしくは近鉄・伊勢市で下車すれば、まず外宮があり、さらに御木本道路を南東に進めば内宮に到着します。
5月5日には、倭姫宮春の例大祭や子供の日のお神楽奉納などもありますので、一度参拝に行かれてみてはいかがでしょうか?