読み物

ちょっと差がつく
『百人一首講座』

【2001年11月30日配信】[No.044]

【今回の歌】
中納言朝忠(44番) 『拾遺集』恋一・678

逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし

人間、誰しも追っかけてくる人には興味がないものですが、なかなか振り向いてくれない人には、「なによ、あんな奴」なんて思いながらも、かえって惹かれるものです。
美男美女にはクールさがつきもの。これが全然相手にされなければあきらめもつくものですが、ほんのたま~に優しい言葉でもかけられるものなら、麻薬のように恋におぼれてしまうことでしょう。
今回の歌は、そういう恋愛感情の本質をするどく突いた一首です。



現代語訳

もし逢うことが絶対にないのならば、かえってあの人のつれなさも、我が身の辛い運命も恨むことはしないのに。(そんなに滅多に逢えないなんて)


ことば

【逢ふこと】
男女の逢瀬のことです。
【絶えてしなくは】
「絶えて」は副詞で、下に打消しの語を加えて強い否定「絶対に~しない」を表します。「し」は強意の間投助詞です。「なくは」は下の句の「まし」とともに、「…なくは…まし」(…なければ…だろうに)という「反実仮想」の構文を作ります。
反実仮想とは、現実と違うシチュエーションを思い描いて、結果を予想する文章です。
【なかなかに】
「かえって」とか「なまじっか」という意味で、物事が中途半端なので、むしろ現状とは反対の方がよいという感じを表しています。
【人をも身をも】
「人」は相手のことで、「身」は自分のことです。「も」は並列の係助詞で、「相手の不実をも、自分の辛い運命も」という意味になります。
【恨みざらまし】
「恨むことはしないだろうに」という意味で、「ざら」は打消の助動詞「ず」の未然形、「まし」は反実仮想の助動詞です。

作者

中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ。=藤原朝忠 ふじわあのあさただ 910~966)

三条右大臣定方(さだかた)の5男で、従三位中納言にまで昇進した。笙(しょう)の名手だったという。「大和物語」などにあるが、恋愛遍歴が豊かで、百人一首に登場する右近も恋人の一人でした。


鑑賞

もしまったく逢えないでいれば、相手の冷たさに身もだえするような想いを感じなくて済むのに。
内裏で一瞬見かけたり、通廊ですれ違ったり、少しだけ声を掛けてもらったり、それもちょっと話すだけで終わったり。この気持ちの辛さ、誰に伝えればいいのでしょう。

恋心、というのは複雑かつ不思議なもので、どんな美女が相手でも、あまりにも熱心に言い寄ってくると醒めてしまうものですが、逆に滅多に逢えないだとか冷たく袖にされたりすると、熱く燃え上がるものです。
まったく逢えなかったり死んだりしていれば、きっぱりあきらめもつくのでしょうが、1年に何度か逢いにやってきたり、たまに見かけたりする時に思わせぶりな態度を取られたりすると、ついひょっとしたら私に気があるのかも、と思わぬ期待をかけてしまうもの。
そうするうちに、想いは現実を越えてつのる一方になってしまいます。
この歌はそうした恋の機微を伝えるもの。こういう気持ちを上手く操れれば、「恋のテクニック」になったり、お互い牽制しあえば「恋のかけひき」になるのかもしれません。

さて、この歌の作者中納言朝忠は出羽守忠舒の娘との間に理兼という子をもうけています。今回お勧めの旅のポイントは、出羽三山の主峰、月山にしましょう。
月山は古くから山岳信仰の山として知られてきた高山で、標高は2000m弱ですが、万年雪をいただき、豊富な高山植物で知られています。
冬の月山は1月からのスキーで賑わいますが、志津温泉郷など近隣に温泉が多く、寒河江ダムには1日7回高さ112mまで水を噴き上げる大噴水などもあります。
電車で行くなら、山形駅から佐沢線に乗って寒河江駅で下車しそこからバスで約40分行けば月山の麓、山形県西川町に到着します。
芥川賞作家・森敦の小説でも有名な「月山」、一度その麗姿に触れてみるのもいいでしょう。