読み物

ちょっと差がつく
『百人一首講座』

【2002年6月20日配信】[No.064]

【今回の歌】
和泉式部(56番) 『後拾遺集』恋・763

あらざらむ この世の外の 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな

雨の多い日々が続いています。
傘をささないと外出できないし、湿気が多いのはなかなか難儀なものです。サッカー・ワールドカップの激戦はまだ続いていますが、外国選手がもっとも困っているのが、日本の蒸し暑さ。
日本の梅雨は世界でもかなり独特な気候のようですね。

けれどここしばらく夏かと思うような暑い日が続いたので、雨が降ったせいで気温が下がって過ごしやすくなったと歓迎している人も多いかも。暑気を含みやすいアスファルトや建物のコンクリートが夕刻雨に打たれ、温度を下げるのはありがたいものです。
今回は、末期(まつご)を迎えた女性歌人の想いのたけを綴った一首をご紹介しましょう。緊張感漂う歌に、蒸し暑さもふっとぶかもしれません。



現代語訳

もうすぐ私は死んでしまうでしょう。あの世へ持っていく思い出として、今もう一度だけお会いしたいものです。


ことば

【あらざらむ】
「あら」は動詞「あり」の未然形で「生きている」という意味です。「む」は推量の助動詞「む」の連体形で、全体で「生きていないであろう」という意味になります。
【この世のほかの】
「この世」とは「現世」という意味ですので、「この世の外」は現世の外の世界、つまり死後の世界ということになります。
【思ひ出に】
「来世での思い出になるように」という意味です。
【今ひとたび】
「もう一度」という意味です。
【逢ふこともがな】
「逢ふ」は、男女が逢い一夜を過ごすことで、「もがな」は願望の終助詞で「~であったらなあ」と、実現が難しい希望を語ります。

作者

和泉式部(いずみのしきぶ。生没年未詳)

1000年頃の人で、越前守大江雅致(おおえまさむね)の娘。最初の夫が和泉守・橘道貞(たちばなのみちさだ)だったので、和泉式部の名前で呼ばれるようになりました。このとき生んだ娘が、百人一首にも登場する小式部内侍です。
平安時代の代表的歌人で、自分の恋愛遍歴を記した「和泉式部日記」は時代を代表する日記文学となっています。
和泉式部は恋多き女性で、道貞と数年後破局した後、為尊(ためたか)親王、その弟・敦道(あつみち)親王と結ばれ、さらに2人の死後、一条天皇の中宮彰子に仕え、藤原保昌(やすまさ)とも結婚します。晩年は消息不明です。


鑑賞

老いさらばえて私は死の床にあります。もうすぐ私は死ぬでしょう。あの世へもっていく思い出に、もう一度だけあなたにお逢いして、愛していただけたらと思うばかりです。

後拾遺集の詞書には、「心地(ここち)例ならずはべりけるころ、人のもとにつかはしける」とあります歌の通り、病気で死の床に就いている時に、心残りを歌に託して男のもとに贈ったということです。

この歌には、実はさほどの技巧はこらされておらず、作者の心情をストレートに表現した歌といえます。
それにしても「あらざらむ」ではじまるこの歌から感じられる女性の激情、強烈なインパクトはどうでしょうか。
もう今や自分が死にかけている荒い息の下から、
「あなたにもう一度逢いたいのです!」
と叫んでいるのです。
ひたむきさを越えた、狂おしいほどの情念が感じられますね。
和泉式部には他にも黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しきなどという歌があり、与謝野晶子のような激しさが感じられます。今なら、中島みゆきなどに当たるかもしれませんが、非常に感性の鋭い女性だったようです。

和泉式部は、とにかく恋多き女性として有名で、平安日記文学の代表「和泉式部日記」も、複数の男性との恋愛の経緯を描いたものです。
作者プロフィールにも少し書きましたが、最初の夫・道貞と数年で破局した後、為尊(ためたか)親王と結ばれますが、親王が1年ほどで26歳の若さで病死。続いてその弟・敦道(あつみち)親王と結ばれます。しかし敦道親王も若くして病死、時の最高権力者・藤原道長からは「浮かれ女」と言われ、父親の雅致からは勘当。それにもめげず一条天皇の中宮彰子に仕え、藤原保昌(やすまさ)とも結婚します。
果たして苦労が多かったのか、もって生まれた性か、とにかくそれだけ次々と恋愛できるということは、式部が魅力的な女性だったからでしょう。

和泉式部は華のある女性だったからでしょうか、そのお墓も全国に10数カ所あるそうです。
たとえば、兵庫県の伊丹市猪名野神社の近くにあるのもそのひとつ。JR福知山線北伊丹駅で下車し、市バス6番の山本団地行きに乗り、辻村で下車すれば近くにあります。
他にも、京都府木津町(JR奈良線木津駅下車)などにも墓があります。
一般に和泉式部寺と呼ばれているのは、京都市の新京極にある「誠心院」です。ここは、娘の小式部内侍に先立たれた和泉式部に、藤原道長が1027年に建てて贈った庵が元とされています。
境内には和泉式部塔などもあり、修学旅行の学生たちなどで賑わっています。行く場合は、阪急京都線四条川原町駅で下車し、徒歩で10分程度です。