読み物

ちょっと差がつく
『百人一首講座』

【2002年6月30日配信】[No.065]

【今回の歌】
赤染衛門(59番) 『後拾遺集』恋・680

やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて
(かたぶ)くまでの 月を見しかな

明日から7月。
梅雨はもうしばらく続きそうですが、海と入道雲、蝉の声とすだれや花火の夏がもうすぐはじまろうとしています。
みなさんは今年の夏をどう過ごそうと思ってらっしゃいますか?

夏といえば、最近はコンクリートの下地が増えて夜になっても熱が下がらない熱帯夜が多くなりましたが、昔は昼の暑気が過ぎると少しは涼しく、障子越しに虫の声を聴きながら寝入ったものでした。
夏の夜闇は夏至(6月21日)を過ぎるとゆっくりと長くなっていきます。虫の声を聴き、蚊取り線香に火をともし、月明かりを見上げながら過ごす夏の夜もおつなものですが、待てど暮らせど来もしない男を待つおんなの夜はいかばかりでしょう。
今回はそんな一首です。



現代語訳

(こんなことなら)ぐずぐず起きていずに寝てしまったのに。
(あなたを待っているうちにとうとう)夜が更けて、西に傾いて沈んでいこうとする月を見てしまいましたよ。


ことば

【やすらはで】
「やすらふ」は「ためらう」とか「ぐずぐずする」という意味になります。
【寝なましものを】
「まし」は反実仮想(現実には起こらなかったことを、もし起こればと想像すること)の助動詞で、「ものを」は逆接の接続助詞です。ここでは「もしあなたが来ないことが分かっていたら」と反実仮想し、「寝てしまっただろうに」と言っています。
【さ夜ふけて】
「さ」は言葉の調子を整えるための接頭語で、全体で「夜は更けて」という意味になります。
【傾(かたぶ)くまでの】
「傾(かたぶ)く」は、月が西の山に傾くこと。月は夜の早いうちに東から昇って夜明け前に西に沈んで行きますので、「夜明けが近づいた」という意味になります。「まで」は事柄が至り及ぶ限界を表す副助詞で、全体として「月が西に沈むまでの」という意味になります。
【月を見しかな】
「かな」は詠嘆の終助詞で「月を見たことですよ」という意味になります。

作者

赤染衛門(あかぞめえもん。958?~1041?)

和泉式部と並ぶ才媛と言われ、藤原道長の繁栄を描いた「栄花物語」正編の作者として有力視されています。
赤染時用(ときもち)の娘と言われていますが、実の父は平兼盛(かねもり)とも言われます。衛門は父の官名からとられています。文章博士の大江匡衡(おおえのまさひら)と結婚し、2人の子供を産みました。曾孫は百人一首73番を作った大江匡房(まさふさ)です。藤原道長の妻・鷹司殿倫子(たかつかさどのりんし)と、その娘の中宮彰子(しょうし)に仕えました。
夫の死後は尼僧となり、85歳以上まで生きました。


鑑賞

あらあら、まだ宵の時分に東から昇った月が、とうとう西の山に沈む頃になってしまいましたわ。もうすぐ夜明け前。
あなたがおいでにならないことが最初から分かっていたら、やきもきせずにさっさと寝てしまいましたのに。あなたを待って、西山に傾いた月を見るはめになってしまいましたわ。

このメールマガジンではおなじみで、ご存じの方がほとんどだと思いますが、平安時代の男女関係は、女性の家に男が夜牛車で訪れて一夜を過ごすという「通い婚」でした。
一夫多妻制で、男が訪れるときに与える贈り物や金品で女性は暮らしていました。しかし男の興味が薄れてしまい、女性の家へ来なくなると結婚は自然消滅し、女性の暮らしも傾きます。
そのため男が来る来ない、ということは、女性にとって恋以上の問題でもありました。

この一首は後拾遺集にあり、「中関白(藤原道隆=みちたか)、少将に侍りける時、はらからなる人に物言ひわたり侍りけり。頼めて来ざりけるつとめて、女に代わりて詠める」とあります。
関白・藤原道隆公が少将だった頃、赤染衛門の姉妹に「今晩行くから」と言ったのにやって来なかった。その翌朝、姉妹に代わって詠み送ったのがこの歌だ、ということです。

待つだけの女性の悲哀を表す歌とも読めますが、個人的には「やすらわはで寝なましものを」というところに啖呵を切るような、カラリとしてじめつかない歯切れの良さを感じてしまいます。
あーあ、どうして来てくれなかったの。もう寝ちゃおっと。
かわいらしく拗ねてみせた、なんて読み方もできますね。
こう読みとっていくと、作者の性格の剛さや明朗さ、姉妹に代筆したということで、しっかり者の姐さん肌かもしれないと思ってしまうのですが、どうでしょうか。
赤染衛門という人は、和泉式部と並び称されるほどの才女でしたが、道長に尻軽女(浮かれ女)とまで言われた恋多き式部とは対照的に良妻賢母タイプだったそうです。
女性としても尊敬され、平安時代最大のライバル同士だった、紫式部、清少納言の両方と友達でした。
歌からも、そんな感じがにじみでていますね。

赤染衛門の夫、大江匡衡も文章博士になるほどの秀才で、尾張権守に任じられていました。尾張は現在の愛知県南部、名古屋周辺となります。
「尾張名古屋は城でもつ」などと言いますが、金のしゃちほこで有名な天下の名城、名古屋城は5層からなる天守閣をもち、内部は城の歴史や江戸時代の町並みを再現した博物館になっています。加藤清正が築城し、江戸時代には尾張徳川家の居城となった名古屋城。近隣には尾張徳川家の家財道具を集めた「徳川美術館」もあります。
名古屋城の入館時間は9時から16時30分まで。入館料は大人500円。交通手段は名古屋駅から市バスに乗り、名古屋城正門前で下車すれば到着します。