読み物

ちょっと差がつく
『百人一首講座』

【2003年1月10日配信】[No.095]

【今回の歌】
前大僧正行尊(66番) 『金葉集』雑・556

もろともに あはれと思へ 山桜(やまざくら)
花より外(ほか)に 知る人もなし

大学生の方などはまだお休みでしょうが、会社員の方はおそらく月曜日が仕事始めだったでしょう。また、中高生なら7日くらいから3学期の始業式を迎えられることだと思います。
今年は4・5日が土日だったので、新年の休みをたっぷりとれた人も多かったでしょう。おかげですっかり休みボケ、なんてことにならないよう、気を引き締めていきましょう。
お店を営んでおられる方は、年末年始の商いはいかがだったでしょうか。不況とデフレでお客さんの財布の紐が堅くて困る、と嘆いている方も多いでしょう。今年こそ景気に活気を、と期待したいものです。9日は宵えびす、10日は戎。商売繁盛を祈って、熊手や笹でも盛大に飾りつけましょうか。

さて今回は、俗世間を離れ厳しい修行を積んだお坊さんが、修行中の寂しさを詠んだ一首です。


現代語訳

(私がお前を愛しく思うように)一緒に愛しいと思っておくれ、山桜よ。この山奥では桜の花の他に知り合いもおらず、ただ独りなのだから。


ことば

【もろともに】
「一緒に」という意味の副詞です。
【あはれと思へ山桜】
「あはれ」は感動詞「あ」と「はれ」が組み合わさって生まれた言葉で、「愛しい」「いつくしい」という意味の感動を表します。
山桜を人のように疑人化し、「一緒に愛しいと思っておくれ」と呼びかけています。
【花より外(ほか)に】
「花」は「山桜」のことです。「より」は限定を表す格助詞です。
【知る人もなし】
「知る人」とは知人のことではなく、「自分を理解してくれる人」のことを指します。

作者

前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん。1054~1135)

敦明親王の孫で参議従二位源基平の息子です。10歳で父を亡くし12歳で出家、円城寺で密教を学んだ後に大峰や熊野などで厳しい修行を行いました。1107年に鳥羽天皇の即位とともに護持僧に選ばれ、その後歴代の天皇の病気を祈祷で治したりして、「験力無双」と誉めそやされています。その後は円城寺の大僧正となり、81歳で亡くなるまで歌人としても名声を得ました。


鑑賞

作者・行尊は、修験道の行者として熊野や大峰の山中で厳しい修行を積んだ人です。修験道の行者はいわゆる山伏。奈良時代に役小角(えんのおづの)が開いた仏教の一派です。
山中で厳しい修行を積んで霊力を得、悪霊を退散させたり憑き物を祈祷で払って病気を治したりと、さまざまな霊験を露わにします。そうした能力を得るために、不眠不休で食事も取らずに山を駆けたり厳しい修行を長く行いました。

この歌は「金葉集」の詞書によると、大峰(現在の奈良県吉野郡の大峰山)で偶然山桜を見かけて詠んだ歌だそうです。
厳しい修行の最中にふと目の前に現れた山桜。それは行尊にとってどれほど心を慰めるものだったでしょうか。人っ子ひとり見えない山奥に咲く美しい桜は、作者にとって天からの賜り物のように見えたかもしれません。
つい、桜を人に見立て「一緒にしみじみ愛しいと感じておくれよ、山桜。お前の他に私の心を分かってくれる者はここにはいないのだから」と孤独をわかちあっています。
清廉な印象のある歌ですが、それは毎日の厳しい修行に対する一服の清涼剤の役割を、山桜が果たしてくれたからでしょう。

この歌の舞台となった、大峰山は紀伊半島のほぼ中央に位置し、南北に約50キロ伸びる山脈です。最高峰は山上ヶ岳、かつて金峰山と呼ばれた標高1915メートルの高峰で、近畿で一番高い山です。
古くから修験道の修行の場として有名で、行場の一部は現在でも女人禁制となっています。深田久弥の選んだ日本百名山にも選ばれており、山上には大峰山寺があります。本堂は5~9月の間だけ開かれ、現在でも多数の修験者がここを訪れます。近鉄南大阪線下市口駅からバスに乗り、ふもとから登山を行いますが、本格的な山なので、観光で訪れる場合は付近の温泉場で楽しまれるのがお勧めです。