ちょっと差がつく
『百人一首講座』
【2003年1月15日配信】[No.096]
- 【今回の歌】
- 源俊頼朝臣(74番) 『千載集』恋・707
うかりける 人を初瀬(はつせ)の 山おろしよ
はげしかれとは 祈らぬものを
賑やかなお正月も一段落つきました。会社員の方は、正月ボケも抜けて仕事に熱が入る時期でもあるでしょう。
1月の15日は「小正月」などと言います。松の内が落ち着いた今の時期、「どんど焼き」と言ってお正月に飾った注連飾りや門松などを焼いたりしますね。
昔は庶民の間では、新年の祝いは15日に行っていました。そのため、元旦の正月に対して「小正月(こしょうがつ)」の名前が残っているのです。忙しいお正月が一段落した後、ほっとする時期だったのかもしれません。家事に忙しかった女性が休めるという意味で「女正月」とも言われました。
明けて16日は、住み込みで働いていた丁稚さんなどが休みをもらって実家に帰れる「やぶ入り」です。昔は土日も働き、1年のうち数えるほどしか休みがなかったので、小僧さんたちは、さぞこの日が待ち遠しかったでしょう。古典落語にも、この日初めて帰宅する息子を待ちわびる夫婦の姿を描いた「藪入り」という噺があります。1月もいろいろ賑やかですね。
さて、今回は待ちわびても振り向いてくれない相手を想う、激しい感情を描く一首をお届けしましょう。
現代語訳
(私に冷淡で)つれないあの人が、私を想ってくれるようにと初瀬の観音様にお祈りをしたのに。まさか初瀬の山おろしよ、お前のように、「より激しく冷淡になれ」とは祈らなかったのに。
ことば
- 【うかりける人 を】
- 「うかり」は形容詞「憂し」の連用形に過去の助動詞「けり」の連体形がついたもの。「憂し」は「思い通りにならず、つらい」とか「つれない」という意味になります。「つれないあの人を」という意味です。
- 【初瀬の山おろしよ】
- 「初瀬」は現在の奈良県櫻井市にあり、平安時代にさかんだった観音信仰で有名な長谷寺があります。「山おろし」は山から吹き下ろしてくる激しい風で、山おろしを擬人化しています。
- 【はげしかれとは】
- 「はげしかれ」は形容詞「はげし」の命令形です。「もっと激しくなれ」と呼びかけた言い方です。
- 【祈らぬものを】
- 「ものを」は逆接の接続助詞です。「祈らなかったのに」という意味です。
作者
源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん。1055~1129)
百人一首の71番に選ばれている大納言経信(つねのぶ)の3男です。雅楽の「ひちりき」を得意とし、堀河天皇の楽人となりましたが、その後和歌の才能も認められ、白河天皇の命で「金葉集」の撰者となりました。和歌は非常に技巧的でしかも情感があり、藤原定家が絶賛しています。その作風は、後世までとても大きな影響を与えました。
鑑賞
この歌は「千載集」の詞書によると、藤原定家の祖父、藤原俊忠(としただ)の屋敷で、「祈れども逢わざる恋」という題で詠んだ題詠の一首です。
相手と恋仲になりたいと思っても、相手は冷たい態度で振り向いてくれません。そこで大和国にある初瀬の長谷寺に祈ったものの相手はますます冷たくなるばかり。それゆえ「初瀬の山から吹き下ろす山おろしみたいに、より厳しくなれなどと祈らなかったのに!」と嘆くのが、この歌の趣旨です。
平安時代には、観音様が広く信じられていました。観音様は、危機になると救いの手をさしのべてくれるとされます。戦の前に武士が「南無観世音菩薩」と唱えるのも、観音信仰が広まっていたひとつの証左です。特に、大和国初瀬(現在の奈良県櫻井市)の長谷(はせ)寺は、京都の清水寺(きよみずでら)などと並ぶ霊験あらたかな名刹として参拝する人が絶えなかったようです。
歌は、初瀬の山から吹き下ろす嵐に呼びかける形をとり、報われない辛い恋心がたかぶるさまが巧みに表現されています。
素直で純粋な恋心を描き、激しい感情の動きを「山おろしよ」と字余りで詠んで際だたせる。そんなところに、言葉を自由自在に操る作者の真骨頂が感じられます。
作者・源俊頼は、情感あふれる歌をありとあらゆるテクニックで鮮やかに詠む和歌の天才で、現在でも多くのファンをもちます。
この歌に興味を持ったら「金葉集」なども詠まれ、より多くの歌に触れてみるのもいいでしょう。
この歌の舞台になった奈良県櫻井市の長谷寺は、真言宗豊山派の総本山。十一面観音像が本尊で多くの参拝者を迎えています。
別名「花のみてら」と呼ばれるほど四季折々の花が豊かで、吉野と並ぶ桜の名所でもあり、春には牡丹やあじさいが楽しめます。
広いお寺で、冬の風景もまた魅力的ですので、参拝に行かれるとよいでしょう。近鉄大阪線長谷寺駅で下車します。