ちょっと差がつく
『百人一首講座』
【2002年7月10日配信】[No.066]
- 【今回の歌】
- 後徳大寺左大臣(81番) 『千載集』夏・161
ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば
ただ有明(ありあけ)の 月ぞ残れる
6月の日本を賑わせたワールドカップも終わり、長かった梅雨ももうすぐ明けようとしています。
例年ですと梅雨明けは、関東から関西までほぼ7月20日頃だということです。本州ではおおむねその前後1週間で本格的な夏の到来となります。
夏の到来といえば「目に青葉山ホトトギス初ガツオ」(山口素堂)という句が有名ですね。時鳥(不如帰=ホトトギス)は5月中旬に日本に飛んできて夏を知らせてくれる鳥。
百人一首には、季節で言うと秋の歌が多いのですが、夏のはじまりを告げる歌ももちろんあります。
今回はそんな歌をご紹介しましょう。
現代語訳
ホトトギスが鳴いた方を眺めやれば、ホトトギスの姿は見えず、ただ明け方の月が淡く空に残っているばかりだった。
ことば
- 【ほととぎす】
- 初夏を代表する事物としてよく歌に採り上げられます。日本には夏に飛来するため、夏の訪れを知らせる鳥として平安時代には愛され初音(はつね=季節に初めて鳴く声)を聴くことがブームでした。
- 【鳴きつる方】
- 「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形で、「鳴いた方角」という意味になります。「つ」は意識的にした動作、自分がしようと思ってした動作を表す動詞に繋がり、「ぬ」は自然な無意識の動作を表す動詞に繋がる場合がほとんどです。
- 【眺むれば】
- 「見てみれば」という意味です。動詞「ながむ」の已然形に接続助詞「ば」がつき、順接の確定条件となります。
- 【ただ有明の月ぞ残れる】
- 「ただ」は残れるを修飾する副詞で、「有明けの月」は夜が明ける頃になっても空に残って輝いている月のことです。「る」は存続の助動詞「り」の連体形で、強意の係助詞「ぞ」の結びとなります。
全体で「その方向にはただ夜明け前の月がぽっかり浮かんでいるだけだった」という意味になります。
作者
後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん。1139~1191)
本名は藤原実定(ふじわらのさねただ)。大炊御門右大臣藤原公能(きんよし)の子供で、百人一首の撰者、藤原定家のいとこでした。祖父も徳大寺左大臣と称されたので、区別するため後徳大寺左大臣と呼ばれます。詩歌管弦に優れ、平安時代末期の平氏が栄えた時代に大臣の職にありました。
鑑賞
朝まだき、ホトトギスが「テッペンカケタカ」と鳴いた。鳴いた方をふっと見てみれば、ホトトギスはすでにそこにはおらず、ただ夜明け方の月が空に低く輝いているだけだった。
「暁聞郭公(ほととぎすをあかつきにきく)」という題で呼ばれた歌です。
ホトトギスといえば3月から5月にかけて日本に渡ってくるので「夏を告げる鳥」として有名です。そのため「時鳥」などと呼ばれて愛され、文学的にも格調の高い景物として扱われています。
この歌のことを知るためには、平安時代の慣習について知っておいた方がいいでしょう。
平安時代の雅を愛する貴族たちにとって、夏のはじまりに飛来するホトトギスは、季節の訪れを象徴する鳥として、ウグイスのようにとても詩的な魅力的なものに思えたようです。
特にホトトギスの第一声(初音)を聴くのは非常に典雅なこととされました。そこで山の鳥の中で朝一番に鳴くといわれるホトトギスの声をなんとか聴くために、夜を明かして待つこともよく行われていたのです。
しかもホトトギスはとても動くのが速く、こちらと思えばまたあちら、というように移動するそうです。後徳大寺左大臣が「すわ、ホトトギスの初音だ」と振り返った瞬間、もうホトトギスはそこにはいない、という印象もこの歌には込められているのです。
この歌は、そういう背景を知らないとキツネにつままれたような印象を受けるかもしれません。ホトトギスが鳴いているから振り返ったら、そこには月が光っているだけなんて、いったい作者は何を言おうとしたんだろうか、と考え込んでしまいそうです。
現代に通じる恋愛歌も多い百人一首ですが、中にはこういう平安時代ならではの背景を持つ歌があるのも一興です。
ホトトギスの声を聴くためだけに徹夜する、なんてのどかな情景ですが、平安貴族のセンスに思いをはせるのもいいかもしれません。
作者には
月見れば はるかに思ふ 更級(さらしな)の 山も心の うちにぞありける
(月を見るとはるか遠く思い出すのは更級の姨捨山だ。そこの思い出も心のうちに残っている)
という歌もあります。
ここで登場する更級(さらしな)とは、長野県更埴市戸倉町更級。
訪れる場合はJR篠ノ井線姨捨駅を下車します。ここは古来から有名な観月の里で、名月を見る「観月祭」も秋には行われます。松尾芭蕉などもここを訪れ、更級紀行はここから命名されました。
特に斜面に拡がる棚田の水面に映る月の姿は「田毎(たごと)の月」と呼ばれて有名です。俳諧の聖地と呼ばれる長楽寺などもあり景色の美しいところですので、一度訪れてみるのもいかがでしょうか。