ちょっと差がつく
『百人一首講座』
【2002年11月10日配信】[No.083]
- 【今回の歌】
- 皇太后宮大夫俊成(83番) 『千載集』雑・1148
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入(い)る
山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
いきなり12月初旬の冷え込みがやってきました。
毎年異常気象が語られますが、今年は夏が終わるといきなり冬になってしまいました。
先週まで半袖セーターの女性を見かけたりしたのですが、今週はコートにマフラーを着たご婦人も電車に乗っています。微妙な季節の変化が日本の叙情だったんですが、どうなってしまったのでしょう。
山里では、冬が近くなると動物たちが冬ごもりの準備をはじめます。故郷では、冬の初めの寒い夜にキツネがギイッと鳴くのを老人たちが「雪おこしの声」と言っていました。
田舎では、保護によってキツネや鹿が増えているという話ですので、今回の歌のように考え事をしていたら鹿の声が聞こえてきたなんてこともあるかもしれませんね。
現代語訳
この世の中には、悲しみや辛さを逃れる方法などないものだ。
思いつめたあまりに分け入ったこの山の中にさえ、哀しげに鳴く鹿の声が聞こえてくる。
ことば
- 【世の中よ】
- 「よ」は詠嘆の間投助詞です。「というものは、ああ…」というようなイメージでしょうか。
- 【道こそなけれ】
- 「道」とは手段とか手だてといった意味です。「こそ」は強意の係助詞で「なけれ」は形容詞「なし」の已然形でこその結びとなります。「(悲しみを逃れる)方法などないものだ」という意味。
- 【思ひ入(い)る】
- 「深く考えこむこと」ですが、「入る」は「山に入る=隠遁する」と重ね合わされ、「隠棲しようと思い詰め、山に入る」という意味になります。
- 【山の奥にも】
- 「山の奥」は、俗世間から離れた場所、という意味です。
- 【鹿ぞ鳴くなる】
- 牝鹿を慕う牡鹿が山の中で鳴いている風情は、哀れを誘い和歌では人気があります。「ぞ」は強意の係助詞。「なる」は推定の助動詞「なる」の連体形で、「鹿が鳴いている」という意味です。
作者
皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり。1114~1204)
藤原俊成(ふじわらのとしなり)。権中納言藤原俊忠の子で、百人一首の撰者、定家のお父さんです。歌論書「古来風躰抄(こらいふうたいしょう)」を著し、余情幽玄の世界を歌の理想としました。西行法師と並ぶ、平安末期最大の歌人です。正三位・皇太后宮大夫となり、63歳の時に病気になり出家、釈阿(しゃくあ)と名乗りました。
鑑賞
この歌は、百人一首を選んだ藤原定家のお父さん、俊成の作品です。27歳の時に詠んだ「述懐百首」の中で鹿をテーマにしたものだと書かれています。
「道」というのは、世の中のつらさを逃れる道、方法ということ。平安時代には世俗を離れてお坊さんになる、出家することでした。
昔の27歳というと立派な大人で、今で言うならちょうど中年にさしかかって、これからの人生をしっかり考えていこうとする時期に当たります。この歌が詠まれた当時は、西行法師をはじめ、俊成と同じ年頃の友人たちが次々と出家していました。
俊成もそんな中でさまざまに悩み、悩んでもどこへ行こうと悩みはつきない、という内容のこの歌を詠んだのでしょう。
作者藤原俊成は、西行と並んで後鳥羽上皇に賞賛されたように、平安時代末を代表する歌人でした。その歌はやさしく、技巧に走らず自分の心の内を語っていく抒情的です。今で言うなら癒し系でしょうか。
今の季節なら、次のような歌があります。
伏見山松の影より見わたせば 明くる田のもに秋風ぞ吹く
俊成は京都市伏見区深草に住み、お墓も深草にあります。京阪電鉄鳥羽街道から東へ行った南明院の中にあります。伏見稲荷にお参りにいくついでに訪れてみられてはいかがでしょうか。