ちょっと差がつく
『百人一首講座』
【2002年8月20日配信】[No.070]
- 【今回の歌】
- 従二位家隆(98番) 『新勅撰集』夏・192
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
みそぎぞ夏の しるしなりける
お盆が過ぎ、本当に暑かった今年の夏もさすがに秋の気配が漂ってきました。
風が強くなり、夜は気温が少し下がって過ごしやすくなります。
さらにあれほど喧しかった蝉の声が聞こえなくなり、代わりに草むらから秋の虫の鳴き声が聞こえるようになってきます。
プールへ行く子供の数も少なくなってきますよね。ソフトボールやサッカーなどのスポーツクラブもそろそろ大会が終わる頃でしょうか。
20日にもなると、夏休みのドリルや宿題を仕上げなきゃ、と思いはじめる子たちもいっぱいいることでしょう。
今年の夏はどうでしたか?
そこで、今回は秋の気配を描いた一首をご紹介しましょう。
現代語訳
風がそよそよと吹いて楢(ナラ)の木の葉を揺らしている。
この、ならの小川の夕暮れは、すっかり秋の気配となっているが六月祓(みなづきばらえ)のみそぎの行事だけが、夏であることの証なのだった。
ことば
- 【風そよぐ】
- 「そよぐ」は、「そよそよと音をたてる」という意味です。
- 【ならの小川の夕暮れは】
- 「ならの小川」は、奈良市のことではなく、京都市北区の上賀茂(かみがも)神社の境内を流れている御手洗川(みたらしがわ)を指しています。さらに「なら」はブナ科の落葉樹、ナラ(楢)の木との掛詞で、「神社の杜に生える楢の木の葉に風がそよぐ」意味と、「御手洗川に涼しい秋風が吹く」という意味を掛けています。
- 【みそぎぞ】
- 「みそぎ」は「六月祓」のこと。川の水などで身を清め、穢れを払い落とすこと。神道では、毎年旧暦の6月30日に六月祓(みなづきばらえ)=夏越の祓(なごしのはらえ)といって、その年の1月から6月までの罪や穢れを祓い落とす行事が行われました。
12月30日の晦日祓(みそかばらえ)とも対応する大きな行事です。
旧暦の6月30日は、現在の暦では8月上旬にあたります。
「ぞ」は強意の係助詞で、「六月祓こそが」という意味です。 - 【夏のしるしなりける】
- 「しるし」は「証拠」や「証」といった意味です。「ける」は気づきの助動詞「けり」の連体形で、「ぞ」と係結びになっています。全体で「夏の証なのだよ」という意味になります。
作者
従二位家隆(じゅにいいえたか。1158~1237)
藤原家隆(ふじわらのいえたか)のこと。権中納言だった藤原光隆(みつたか)の息子で、従二位宮内卿(くないきょう)にまで昇進し、京都の西、壬生(みぶ)のあたりに住んでいたので「壬生二位」と呼ばれていたそうです。
後鳥羽院の時代の代表的な歌人で、寂蓮法師(じゃくれんほうし)の家に婿として入り、藤原俊成に歌を学びました。
鑑賞
涼しい風がそよそよと神社の杜にある楢(なら)の葉ずえをそよがせている。「ならの小川」すなわち御手洗(みたらし)川にも風は吹き、秋の気配が感じられる。
ここは上賀茂神社。今日は6月30日だから、年前半の穢れを落とす「六月祓(みなづきばらえ)」の行事の真っ最中だ。
行事が終われば、明日からは旧暦の7月。夏はもう今日で終わって、明日からは暦の上では秋となる。しかし、この「みそぎ」の行事だけは、夏であることの証しであるなあ。
この歌は、詞書に「寛喜元年女御入内屏風に(かんぎがんねんにょうごじゅだいのびょうぶに)」とあります。
前の関白だった藤原道家の娘、立尊子(しゅんし。立へんに尊)が後堀河天皇の中宮(皇后の別名です)になって入内した時に、屏風が嫁入り道具としてあつらえられます。
その屏風には宮中での年中行事が月ごとに描かれているのですが、その6月の部分に六月祓の絵の下に書かれたのが、この歌であったというわけです。
今で言うなら、豪華なカレンダーの挿し絵に付けられた名歌、といったところかもしれません。
平安時代は今と違って、月の動きをもとに1カ月を30日、1年を360日と決める太陰暦を使っていました。こよみによく出てくる「旧暦」というのがそれです。
旧暦では1~3月を春、4~6月を夏というように3カ月ごとで区切っていました。また、今の1年365日である太陽暦に比べ、1カ月ほど月日がずれています。
よって、この歌に出てくる6月30日の「六月祓(みなづきばらえ)」は、実は8月の初め頃に行われていました。
しかも旧暦では、7月1日からは秋と決められていました。
「6月末なのに秋なんておかしいなあ」と思う人は、このことを頭においておいてください。
この歌は、上賀茂神社を流れる御手洗川に吹く風を心地よく感じながら、6月の季節の行事を見ている、という爽やかな情景が描かれています。六月祓(みなづきばらえ)は、平安時代は12月の晦日と並んで、1年の上半期の穢れをすべて川の水で洗い流してしまおうという、大きな区切りの行事です。
「大晦日並み」ということを考えると、この行事のスケールが想像できるでしょう。
清涼に流れる川に夏のイメージが写される秀歌で、夏の暑さを忘れてしまうような涼しさを感じないでしょうか?
さて、この歌の舞台となった上賀茂神社は、京都市の北の奥まったところにある、京都でもっとも古い神社で、正式には「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と言います。
7世紀後半の天武天皇の頃に社殿が作られ、現在は国宝および、世界文化遺産に指定されています。
赤い一の鳥居から二の鳥居の間に芝生の馬場があり、5月5日には競馬(くらべうま)などが行われ、六月祓も現在でも6月30日に行われます。
しかし上賀茂神社の祭といえば、なんといっても5月15日に開催される京都三大祭のひとつ「葵祭(あおいまつり)」でしょう。
葵の葉を身につけた斎王代が禊ぎを行います。
「ならの小川」は神社本殿の左右から流れ、橋殿でひとつになります。みなさんも一度見に行かれてはいかがでしょうか。
京都駅から上賀茂神社行きの市バスが出ています。