読み物

ちょっと差がつく
『百人一首講座』

【2001年11月10日配信】[No.042]

【今回の歌】
天智天皇(1番) 『後撰集』秋中・302

秋の田の 
仮庵(かりほ)の庵(いほ)の 
(とま)をあらみ
わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ

秋といえば「収穫の秋」。山や野や畑から、とれとれの野菜や果物がたくさん収穫されてきます。中でも収穫の秋を最も象徴するものは、金色にたなびく稲穂でしょう。

西洋の小麦やブドウのように、日本の豊穣のイメージは米でした。一面に稲穂が揺れる秋の田圃の風景は、都会に住む人々にとってもある種の郷愁をそそるものです。
今回は、そんな秋の風景を思索的に描いた一首をご紹介します。



現代語訳

秋の田圃のほとりにある仮小屋の、屋根を葺いた苫の編み目が粗いので、私の衣の袖は露に濡れていくばかりだ。


ことば

【仮庵(かりほ)の庵(いお)】
「かりほ」は「かりいお」がつづまったもので、農作業のための粗末な仮小屋のこと。秋の稲の刈り入れの時期には臨時に小屋を立てて、稲がけものに荒らされないよう泊まって番をしたりしました。「仮庵の庵」は同じ言葉を重ねて語調を整える用法です。
【苫(とま)をあらみ】
苫(とま)」はスゲやカヤで編んだ菰(こも=むしろ)のことです。「…(を)+形容詞の語幹+み」は原因や理由を表す言い方で、「…が(形容詞)なので」という意味を作ります。よってここの意味は「苫の編み目が粗いので」となります。
【衣手(ころもで)】
和歌にだけ使われる「歌語(かご)」で、衣の袖のことです。
【ぬれつつ】
「つつ」は反復・継続の意味の接続助詞です。ここでは、袖が次第に濡れていくことへの思いを表現しています。

作者

天智天皇(てんじてんのう。626~671)

舒明(じょめい)天皇の皇子で即位前の名前は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)。藤原鎌足とともに蘇我氏を撃ち、大化改新をなしとげ、天皇に即位しました。その後、飛鳥から近江に都を移しています。

天智天皇は平安時代には、歴代天皇の祖として非常に尊敬されていました。この歌は元々、万葉集の詠み人知らずの歌でしたがそういうイメージから、口伝で伝えられるうちに、天智天皇作とされるようになったようです。


鑑賞

田圃の隅に建てた仮小屋に泊まり、獣が来ないよう番をしていると、夜も更け、冷たい夜露が屋根からゆっくりしたたり落ちてくる。屋根を葺いた苫(スゲ・カヤ)の目が粗くて隙間があるから、夜露は私の袖に落ちて、着物はだんだん濡れそぼってくる。

農作業で泊まり番をする農民の夜を描いた一首です。農作業というと辛さを連想することも多いですが、ここではそういう実感は少なく、夜に静かに黙想しているような静寂さと、晩秋の夜の透明感がより強く感じられます。
非常に思索的な歌で、藤原定家は静寂な余情をもっている歌だとして「幽玄体」の例としました。

余情、と言っても少しわかりにくいかもしれませんが、たとえば日本でも人気のある画家、ミレーの「晩鐘」を思い出されればいいかもしれません。
ミレーの晩鐘は、農家の夫婦が、刈り入れの終わった麦畑で夕暮れに向き合ってたたずみ、教会から聞こえてくる夕方の鐘の音に祈りを捧げている有名な絵です。
晩鐘は満ち足りた仕事を描いているので、この歌の感覚とは少し異なりますが、あのように静かで思索的な印象が、この歌にも感じられます。

この歌の作者である天智天皇は、都を飛鳥(現在の奈良県飛鳥地方)から近江(現在の滋賀県大津市)に遷都を行いました。現在の大津市には天智天皇ゆかりの史跡が多くあります。
まず、天智天皇を祀って昭和15(1940)年に建立された近江神宮。琵琶湖が見下ろせるこの神宮には、天智天皇の歌碑をはじめ天皇が作ったという日本最初の水時計などがあり、時計博物館なども併設されています。
また、大津京の遺物や歴史が展示されている大津市歴史博物館や、4世紀ころの古墳を公園にした皇子山公園など、見どころがいっぱいです。電車で行くならJR西大津駅で下車します。近江神宮なら京阪電鉄の近江神宮前駅が近く、歴史博物館なら別所駅が最も近くにあります。