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をぐら歳時記

百人一首対談集

『小倉百人一首』とともに◆その三


感動が生む、愛しみの心。

小倉山 峰のもみぢば 心あらば いまひとたびの みゆき待たなむ
〔第二十六番 貞信公〕

感動の気持ちを、大切な人と共有したいという想いを詠った貞信公の一首。人は、言葉では言い尽くせないほどの深い感銘を受けた時、その気持ちを一番大切な人に伝えたいと思うものなのでしょう。今回は、貞信公が詠んだ「小倉山・・・」の歌について、百人一首を専門に研究されている吉海直人先生にお話を伺いました。


山本 毎年紅葉の季節になると、全国各地から多くの人が京都を訪れます。この和歌のように、美しい紅葉の風景には誰しも感動を覚えますが、平安時代の人々は、紅葉をどのように捉えていたのでしょうか。

吉海 自然界においては、紅葉以上に「落葉」という現象が重要です。冬を迎える前に自ら葉を落として、エネルギーの消耗を抑えるわけです。ですから、落葉は愛でるよりも悲しむものでした。中国では「黄葉」と表記しますが、それは葉の枯死ということで、人間の「老い」とか「死」に通じるのです。日本でも『万葉集』に「紅葉」や「赤葉」の例は少なく、ほとんどは中国同様「黄葉」でした。ただこれは、現在とは対象となる植物が異なっているからで、『万葉集』では、楓ではなく萩の「黄葉」が主流だったようです。

山本 『万葉集』の時代は紅葉と言えば「萩」だったのですね。現代では、紅葉と言えばやはり「楓」のイメージが強いですが、「楓の紅葉」が和歌に登場したのはいつごろなのでしょう。

吉海 『古今集』になると、楓の紅葉が一般的に詠まれるようになります。もともと「紅」という色は、紅梅のように花の色として表現されることが多く、葉っぱの色ではありませんでした。ですから「紅葉」という表現には、既に美的という評価が含まれているのでしょう。どうやら「紅葉」を美的なものに昇華させたのは、平安時代のようです。

山本 この貞信公の和歌の出だしは「小倉山・・・」と詠まれていますが、「小倉山」は、昔から紅葉の名所だったのですか。

吉海 「小倉山」が紅葉の名所になるのは、『古今集』より後のことです。もともと『万葉集』の時代に、紅葉の名所はありませんでした。『古今集』で最初に紅葉の名所になったのは、京都ではなく奈良の「竜田」でした。『小倉百人一首』にも、在原業平の「ちはやぶる・・・」(第十七番)や能因法師の「あらしふく・・・」(第六十九番)に詠われていますね。

山本 京都の人々も、「竜田」まで紅葉狩りに出かけていたのでしょうか。

吉海 いえ、そうではありません。『古今集』は、言葉遊びを大事にしており、「竜田」に裁縫の「裁つ」が掛けられることで、錦などの織物の縁語(※1)として都合の良い地名でした。平安朝の人にとっては、「竜田」の紅葉がいかに美しいかという以上に、言葉遊びとして、うまく使えるかどうかの方が重要だったのです。その点「小倉山」は、「お暗」(薄暗い)という掛詞(※2)にはなりますが、紅葉とは結びつかなかったので、和歌の中では紅葉の名所にはなりにくかったのです。

山本 それでは「小倉山」はどんな過程を経て、紅葉の名所として確立されるようになったのでしょう。

吉海 それこそ貞信公の和歌が大きな役割を担っています。宇多上皇が大堰川に御幸(※3)された際、あまりの紅葉の美しさに、是非、醍醐天皇にも行幸(※4)してこの美しい紅葉を見てもらいたいと仰ったので、その旨を歌に詠んだのが、この「小倉山・・・」でした。それ以降、天皇の大堰川行幸が恒例になったことで、小倉山が紅葉の名所として確立したのです。貞信公の歌は、小倉山が紅葉の名所になるきっかけを作った重要な歌だったと言えます。

山本 小倉といえば、「小倉餡」を連想してしまいますが、貞信公の和歌は「小倉餡」の命名にも関わっているのでしょうか。

吉海 餡には、「こしあん」と「つぶあん」がありますね。その中で「小倉餡」は、遅れて登場した「餡」なのです。その見た目が「鹿の子まだら模様」だったことから、鹿から紅葉が連想され、さらに紅葉の名所である「小倉山」にちなんで、「小倉餡」と命名されたとされています。そうなると貞信公の歌は、お菓子屋さんにとっても、大変ありがたい歌ということになりますね。

山本 弊社がブランド名としている「小倉山荘」は、小倉山の麓にあった藤原定家の別荘『小倉山荘』にあやかっていますが、『小倉山荘』とはどのような所だったのでしょう。

吉海 実は「小倉山荘」は、必ずしも固有名詞ではありませんでした。ですから小倉山の麓にあれば、みな「小倉山荘」なのです。その中でも、『小倉百人一首』の成立に深く関わったのが、藤原定家の小倉山荘です。ただし、どこに位置していたかは定かではありません。角田文衛博士の考証では、「落柿舎」(※5)の近辺にあったとされています。山荘といっても山小屋ではありません。当然、牛車で乗り付けられる場所のはずですから、その意味でも落柿舎近辺は妥当性がもっとも高いと思われます。山荘の所在が定かでないからこそ、『小倉百人一首』の故郷としての「小倉山」に、よりいっそうの魅力を感じますね。

《用語解説》
※1 縁語(えんご)
和歌などの修辞法の一種で、意味上や発音上で関連する語を使い、表現に面白みを出すこと。
※2 掛詞(かけことば)
同じ音や類似した音を有するものに、2つ以上の意味を込めて表現する方法。
※3 御幸(みゆき)
上皇・法皇・女院の外出のこと。
※4 行幸(ぎょうこう)
天皇の外出のこと。「みゆき」とも読む。
※5 落柿舎(らくししゃ)
京都・嵯峨野にある草庵で、松尾芭蕉の弟子であった向井去来(1651~1704年)の別荘。

~取材を終えて~

紅葉の美しさは、その日その瞬間かぎりで時間と共に姿を変えていきます。人間関係も同様で、昨日と今日は決して同じではありません。だからこそ、たとえ毎日のように出逢っていても、いまこの瞬間は一生に一度しかないと思い、全力を尽くして接することが末永く色あせない繋がりを育むと思うのです。

この和歌のように「感動の気持ちを共有したいという想い」が、人と人との絆を結んでいくものです。感動を共有したり、喜びを分かち合ったりすることで、絆はより深まっていきます。人と人が結びつき、支え合う関係の原点は、そういったところにあるのではないでしょうか。

日頃、お世話になっている方に、また家族や親しい人へ、感謝を込めて贈り物をする。それは、私たち日本人が大切にしてきた思いやりの心と言えるでしょう。贈り・贈られることで、さらに広がっていく絆の輪。思いやりが絆の輪をつくり、人間関係の「和」というものを醸成していくのです。

私ども小倉山荘では、これからも真心こめた商品とサービスで、人と人との絆結びのお手伝いに努めて参りたいと考えています。

山本雄吉