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をぐら歳時記

百人一首対談集

『小倉百人一首』とともに◆その四


自然の推移に想う不変の姿。

人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
〔第三十五番 紀貫之〕

誰しも人の気持ちの変化を推しはかることなどできないもの。しかし、この世には変わらないものもあるのだと詠んだ一首。冬を乗り越え、百花に先駆けて咲く梅は、季節の移ろいを表現する花の象徴でもあり、変わりやすい人の心にも通ずるものがあるのでしょうか。今回は、紀貫之が詠んだ「人はいさ・・・」の歌について、『百人一首』を専門に研究されている吉海直人先生にお話をお伺いしました。


山本 この和歌に「昔」と詠み込まれた『万葉集』の時代には、桜より梅の方が尊ばれていたと聞きましたが、その実情はいかがなものだったのでしょうか。

吉海 おっしゃる通りです。当時は、希少価値からしても桜より梅の方が尊ばれていました。桜と言えば山に自生する“山桜”であり、邸のそばに植えられることもなかったようです。一方は、梅は本来薬用として輸入され、高い価値があったため、必然的に邸の近くに植えられたり、栽培されたりしたようです。
『万葉集』では、桜よりも梅の花の方がたくさん詠まれています。梅は「白梅」に限られるようで、それゆえに“雪と見まがう”と詠われています。これは、色の類似だけではありません。雪を梅に見立てるのは、一日も早い春の到来を待ち望む気持ちが込められているからです。梅は春になると、どの花よりも早く咲きますから、春を告げる花として鶯とともに多く詠われたのです。しかし、『百人一首』において、梅はこの歌一首だけなのに対し、桜の歌は六首もあるのです。つまり、平安時代において優劣が逆転したわけです。

山本 平安時代、香りは身だしなみの一つと言われ、「香りの文化」が花開いた時代と認識しています。梅も香りの文化として扱われたのでしょうか。

吉海 貴族の間では香りの文化が発達していました。その材料のほとんどが外来品ですから、当然非常に高価なものでした。
梅にしても、花の色よりも香りの方が愛でられています。桜が「花の色」で、梅が「香り」というわけです。それが『古今集』に至って、「紅梅」が登場すると、「色も香りもある花」になります。
ところで「匂ふ」という言葉は複雑で、照り輝くような視覚美と、いい香りのする嗅覚美とを併せ持っています。例えば、本居宣長(※1)の歌に「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」とありますが、この「匂ふ」は視覚美です。一方、貫之の歌は「香ににほひ」ですから、この表現は間違いなく嗅覚美を表しています。

山本 紀貫之の歌にある「ふるさと」は、生まれ故郷ということなのでしょうか、それとも別の解釈があるのでしょうか。

吉海 「ふるさと」という言葉は、現在でも普通に使われているので、かえって誤解を生じています。古典の歌における「ふるさと」は、生まれ故郷という意味ではなく、旧都や昔なじみの土地の意味で詠まれていることが多いからです。平安京にとっては、平城京が「ふるさと」となるのです。
この歌の場合、『古今集』の詞書(※2)に「初瀬に詣づるごとに宿りける人の家」とあることで、多くの人が単純に初瀬にある宿(海柘榴市)(※3)と考えてきました。しかしながら、そこは貫之の出身地ではなさそうです。また初瀬付近に、梅が植えられていた記録も見当たりません。梅にふさわしい場所は、やはり平城京なのです。京都から初瀬の中宿として、平城京に泊まってもおかしいことはありません。ということで、私はこの歌の「ふるさと」は、平城京であるとしてまず間違いないと考えています。

山本 『百人一首』の和歌に詠われた世界を、四季によせてお話していただきましたが、全体の総括として何かお伺い出来ることはありますか。

吉海 今回の梅もそうですが、四季というのは決して固定したものではありません。常に動き、移り変わるものです。だからこそ、日本人は季節感を感じることができます。和歌においても単なる静的な季節ではなく、動的な季節の移り変わりに注目した歌が多く詠まれているのです。その代表が「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」という持統天皇の歌でしょう。
今回取り上げた「梅」は冬から春ですし、「秋風」は夏から秋、「紅葉」は秋から冬へという季節の変わり目として詠まれていました。自然の中で季節の移り変わりを知ることが、日本の美意識であるとも言えます。それは現代人にとっても、必要なことではないでしょうか。自然の推移に敏感になることによって、『百人一首』をはじめとする古典文化に親しみやすくなります。日本の四季を存分に楽しみ、また、古典文学にも興味を持っていただければと思います。

山本 四季を感じる感性を、私たちも大切にしていきたいですね。ありがとうございました。

《用語解説》
※1 本居宣長(もとおりのりなが/1730~1801年)
江戸中期の国学者。医業の傍ら古典研究を行う。『古事記』・『源氏物語』をはじめ、古典文学の注釈や文法などの国語学的研究に業績を残した。
※2 詞書(ことばがき)
和歌の前書き。歌の題やその作品のできた事情を書いたもの。
※3 海柘榴市(つばいち)
奈良県桜井市の初瀬川(大和川)流域の金屋付近にあった市。日本における最古の交易市場と言われている。

~取材を終えて~

移り変わる季節に触れながら過ごすことで、私たちは趣を感じ取ったり、いたわりの心といった情操を養っているのではないでしょうか。人と人との繋がりも、微妙な心の動きを感じ取り合いながら、コミュニケーションを図っていくことで成立します。相手のことを想うということは、その人の心の機微を感じ取ることだと思うのです。

もう一つ、私たちは多様な自然の恵みから、生きるための糧を授かり、生きています。自然界のあらゆるものが、生命の鎖で繋がっているのです。人間もその一員であり、無数の生命との関わりの中で生かされているわけで、それは世の中がどのように変わろうと、決して変わりようがありません。そう考えると、生かされていることに感謝し、自然に人に、慈悲の気持ちをもって接することの大切さを感じずにはいられません。

小倉山荘では、「田んぼから人と地球の未来を考える」循環型社会の実現を目指しています。米菓という「モノ」だけでなく、米菓を通じて人と人の触れ合いを育む「コト」を提供していくことで、絆支援を実現していきたいと考えています。そして、豊かな自然を取り戻し、人を大切に想う慈悲の心を育み、未来へと継承していきたいと願っています。

山本雄吉