をぐら歳時記
『琳派創成四〇〇年が伝える美意識』◆その四
琳派の背景にある意匠の源
琳派の作品から感じられるリズムや色彩には、申樂や和歌の影響があります。もともと和歌を書くための料紙の下絵である料紙装飾から始まったと言われる琳派。いかに和歌の心を推しはかり、そこに流れる調べを表現できるかということに重点が置かれたのでしょう。今回は、日本美術史を研究されている榊原吉郎先生に、琳派と申樂や和歌の関係から、料紙装飾が求められた理由などについて、ご紹介していただきます。
琳派とは、
和歌の世界を「絵画」で表現した流派
琳派を理解するためには、その背景にある和歌を知ることが求められます。言い換えれば、歌つまり音楽を理解することではないでしょうか。音楽には「音色」という言葉が使われます。これは音を表すだけでなく、音を色に合わせるものであり、聴覚と視覚を結び付けた表現と言えます。私は、色にも音と同じように波長があると感じています。この音と色の波長の微妙な差異によって、聴く人、見る人の受け取り方は全く別物になると思うのです。
今日では、印刷されたものによって和歌を読む黙読が当たり前ですが、和歌は本来、声を出して節をつけて歌ったものです。それが、いつの間にか視覚に頼るようになってきました。つまり、音色(調べ)がなくなったわけです。確かに、伝えるという観点から見て、文字は音声より安定しています。音声は地域や時代、また個人によっても複雑に変化し、聞き間違いも生じてくるでしょう。結局、正確には伝わっていかないものです。国家事業として歌集編纂が奨められてきたのも、そのあたりに理由があるのでしょう。
しかし、現在でも宮中での歌会始では、詠み人の歌っている音声が流れます。これは『万葉集』の頃から続く伝統の世界であり、これこそが本来の和歌の姿なのです。琳派はこの音色を「絵画」に置き換えて伝える流派なのです。
琳派の画面構成の根底にある
申樂のリズム
『古今集』を始めとする様々な歌集・歌物語を創り出した王朝文化は、次第に変化し、神前で神楽を歌い舞う巫女や、白拍子(※1)が唄う今様(当時の現代風歌謡)へと文化の新しい世界が広がっていきました。そして、諸国を行脚して仏教の教えを説く仏教僧や武士などが、布教のため、また浄財を集めるために行った歌舞が申樂(能楽)へと発展し、世阿弥(※2)によって大成されます。申樂は「序破急」(「序」は導入部、「破」は展開部、「急」は結末部)と呼ばれる三段階の変化によって、新しい世界を創り出します。
琳派の作家たちは、その申樂の世界を表現の根底に置いています。例えば、尾形光琳の「燕子花図屏風」は、『伊勢物語』を題材としていますが、申樂の重要な要素である簡潔で明瞭な型(序破急)が見て取れます。色彩としても、申樂で重要視されている色である紫色が目立ちます。
このように琳派の作品は、和歌や物語、その時代に流行した文化を理解した上で、より深く楽しむことができる仕組みになっているのです。
“秘すれば花”の精神が生み出した
葦手絵文様と料紙装飾
記録用の道具である硯箱に施された絵柄の中に歌を隠した「葦手絵文様」という文様があります。これは螺鈿蒔絵(※3)の技法を用いた理知的な遊びです。自然の様子などを描く文様の中に文字を隠し、その文字を見つけ出して歌を完成させる喜びや楽しみが、葦手絵にはあります。元々の語源は、文字を葦がなびいたように書いたことから「葦手」といったようです。当時、葦手絵には歌の意味を理解し、歌心を知り尽くした上で、見る者の心に響く味わい深さが求められました。題材となる歌は、和歌だけでなく漢詩もあります。また、硯箱以外では教典の見返しや文字を書く紙である“料紙”に装飾を施した「料紙装飾」にも、この手法が用いられています。そこには、飾る喜びを隠そうとする意識があります。この隠す意識が伝統となり、世阿弥の芸論書『風姿花伝(花伝書)』にある“秘すれば花”という「すい=粋」の精神が生まれてきたのでしょう。ここでの“花”とは、魅了することであり、感動させることです。隠して秘密にするからこそ、何事も見る者の想像力をかき立てて、心を動かすことができるというものです。
重要文化財に指定されている「鶴図下絵和歌巻」は、俵屋宗達が金銀泥で描いた鶴の下絵の上に本阿弥光悦が三十六歌仙の和歌を描いたものです。光悦の書蹟を表す代表作であると共に、宗達の料紙装飾の傑作の一つと評することができます。尾形光琳は当時、この作品を見ています。それが光琳の「千羽鶴図香包」となり、料紙装飾の系譜を伝承することにも繋がっているのです。料紙装飾に使われた墨流しの技法が「流水模様廣蓋」や「光琳波」へと展開し、琳派の「たらし込み」はその完成であると言えます。
琳派作品を理解する一つの方法として、底流にある和歌を感じ、どのように調べを表現しているのかといったことを考察しながら、ご覧になるのも楽しいのではないでしょうか。
- ■人物紹介と用語解説■
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※1 白拍子(しらびょうし)
平安末期から鎌倉時代にかけて流行した、歌舞をを演じる芸人。 -
※2 世阿弥(ぜあみ/1363年頃~1443年頃)
室町時代前期の能役者・能作者。父の観阿弥と共に、能をものまね中心の申樂から歌舞中心の総合芸術へと大成させた。また、多くの書も残している。 -
※3 螺鈿蒔絵
貝殻の色つやの美しい部分を薄く切り取って、漆で描いた絵模様の中に貼り付け、金・銀などの粉を蒔き付けて磨き出す伝統技法。
琳派と小倉山荘のデザイン
小倉山荘では、俵屋宗達が描いた「鶴図下絵和歌巻」にヒントを得て、慶事用商品『祝い歳時記』の包装紙のデザインに鶴の意匠を取り入れています。
鶴は「瑞鳥」とされ、古くから吉祥のモチーフとして描かれてきました。『祝い歳時記』でも、鶴を意匠に用いることで、喜びの席に気持ちを添える品として皆様にわかりやすく、そしてお渡しされる側と、受け取られる側の双方に喜んでいただけるような表現を目指しました。
お客様との出会いを大切に想い、先様の心をも潤わせられるよう、心に響く調べをこれからも奏でていきたいと考えています。