をぐら歳時記
百人一首対談集
『小倉百人一首』とともに◆その六
歌枕に寄せる、愛しみの想い。
つくばねの 峰よりおつる みなの川 こひぞつもりて 淵となりぬる
〔第十三番 陽成院〕
「歌枕」を詠みこむと共に言葉遊びを大切にしながら、人知れず想う恋心の深まりゆく様を詠んだ一首。この歌が共感を得るのは、地名の持つイメージからだけではなく、誰しも恋心を募らせた経験があるからなのではないでしょうか。今回は、陽成院が詠んだ「つくばねの・・・」の歌について、『百人一首』を専門に研究されている吉海直人先生にお話を伺いました。
山本 『小倉百人一首』は、自然の情景を詠んだものより恋の歌が目につきます。これらの恋の歌には、どのような特徴が見られるのでしょうか。
吉海 『百人一首』を勅撰集の部立(※1)で分類すると、四季の歌が三十二首なのに対して恋の歌は四十三首もあることから、恋の歌が多いことは、間違いなく『百人一首』の特徴といえます。そして、恋にはいろいろなケースがありますから、当然様々な恋模様が詠われています。実は『古今集』の恋部を見ると、恋一から恋五まで恋の進行状況に従って時間軸で並べられています。大まかに言うと初恋から逢う恋、そして恋の不審、別れといった順番です。そこには恋物語が展開されているわけです。目に付きやすいのは初恋、そして初めて逢った後に交わされる後朝(※2)の歌でしょうか。ただし、『百人一首』には案外マイナス要素の強い恋の歌も含まれています。
山本 陽成院の「つくばねの・・・」はまだ見ぬ女性に抱いた恋心を詠ったものと聞きます。また、この「筑波嶺」とは茨城県の「筑波山」だと思うのですが、そんな遠いところまで御幸されたのですか。
吉海 『万葉集』だと、だいたいその場に行って写実的に詠まれることが多いのですが、平安時代になると現場に行かず、京都にいながらにして見ていない風景を詠むのが一般的になります。「筑波山」の絵くらいは見たかもしれませんが、天皇(院)ですから現地に赴くことは不可能です。
山本 平安時代には、和歌の中に「歌枕」(※3)として名所などが詠み込まれていますね。「歌枕」に求められる大切な要素とは何でしょう。
吉海 平安時代になると、歌の世界を広げるために「歌枕」を詠みこむことが急増しています。『百人一首』にも三十以上の「歌枕」が詠み込まれています。「歌枕」が多いのも『百人一首』の特徴の一つです。もちろん、ただ訪れたことのない遠い場所を詠めばいいというわけではありません。その地名にある特定のイメージが付与されることで、読者の共感を得ることが求められます。
山本 「つくばね(筑波嶺)」という言葉は、「歌枕」としての役割のほかに、恋のイメージもあると思いますが、いかがでしょう。
吉海 まず和歌の技巧として機能するということです。「筑波」には「心を付く」が、「峰」には「見ね」が掛詞(※4)として機能します。言葉遊びとしての有効性が「歌枕」の条件でもあるのです。ただし陽成院の歌の場合、表向きは掛詞にはなっていません。そこでもう一つ、「筑波山」の有する幻想的な風景が考えられます。『常陸国風土記』(※5)によると、かつて「筑波山」では「歌垣」という男女の歌の掛け合いが行われていたことがわかります。しかも「みなの川」は漢字で表すと「男女の川」ですから、恋の歌を詠むのにもってこいの「歌枕」だったのです。
山本 つまり、この歌には「歌枕」が二つも詠み込まれていることになりますね。
吉海 「みなの川」は、「男女の川」と「水無の川」の掛詞にもなります。最初は水が無く、わずかな水のしたたりが次第に川となり、そして深い淵となるように、私の恋心もこんなに深くなってしまったと訴えているわけです。そういった恋にふさわしい「歌枕」を上の句に据え、それが比喩となって下の句の恋心の深まりを導いているところは、見事としかいいようがありません。
山本 それにしても、陽成院自身の恋の行方が気になりますね。
吉海 この歌は詞書に「釣殿のみこにつかはしける」とあるので、陽成院が光孝天皇の皇女綏子内親王に贈った歌であることがわかります。その後、二人は結婚していますから、陽成院の恋は成就したことになるのでしょうね。
- 《用語解説》
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※1 部立(ぶだて)
歌を内容によって分類して配列すること。『古今集』には四季・恋・賀などの部立がある。 -
※2 後朝(きぬぎぬ)の歌
一夜を共にした男女が、翌朝、別れた後で男性が女性に贈る歌のこと。 -
※3 歌枕(うたまくら)
歌を詠むときの典拠とすべき枕詞・名所など。『古今集』など古歌に詠み込まれた地名(名所・旧跡)。 -
※4 掛詞(かけことば)
同じ音や類似した音を有するものに、二つ以上の意味を込めて表現する方法。 -
※5 常陸国風土記(ひたちのくにふどき)
常陸国の歴史や伝説をまとめたもの。古風土記の一つ。
~取材を終えて~
平安時代には、和歌を贈る際にモノを添えたり、逆に先にモノを届けておいて後で歌を贈るといったことが、日常的に行われていたそうです。相手を想う、その気持ちにモノを重ねることで、さらに強く想いを伝える。これは、現代の私たちがプレゼントや贈り物を贈っていることと同じだと思うのです。そこには、恋心はもちろん、感謝の気持ちや思いやりなどが込められているはずです。たとえ時代が変わろうとも、人の気持ちは今も昔も同じなのではないでしょうか。
お中元も同様に、お世話になった方や親しい人に心を込めて贈り物をする日本の古きよき習慣です。長岡京 小倉山荘では、様々な進物の機会に「心をつくし、礼をつくす」をモットーに、人と人との絆を深めていく、お手伝いができればと考えています。
山本雄吉