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をぐら歳時記

小倉百人一首をひもとく

『小倉百人一首』を通じて書に親しむ◆その二


かな特有の「散らし書き」の美しさ

日本人の美意識によって誕生した「散らし書き」。今回は、かな書法を専門分野とされている京都橘大学の橋本先生に、「散らし書き」の成り立ちから書き方などについて、ご紹介していただきます。


日本人の感性が生み出した「散らし書き」

 「散らし書き」とは、和歌や「かな消息(かなによる手紙)」などにおける書法の一つです。行頭・行尾の高低や行間に変化をつけたり、「草がな」や「平がな」を混ぜて濃く薄く・細く太くなど、さまざまに散らして書く書法です。中国の漢字をもとに誕生した「かな」は、平安時代中期に隆盛を極めました。「かな」のもつ簡素で優美な特性から生まれた流麗な美しさは、当時の貴族社会に定着、日本独自の書写形式といえる「散らし書き」へと発展していきました。

 「散らし書き」は、漢字を受容して「かな」を生み出した早期の「万葉がな」や「草がな」の時代には見当たりません。歴史的には「女手(後の「平がな」)」が定着した平安中期以降の表現法といえます。日本人のもつ繊細で微妙な感性や、独特な自然美が生んだ変化流動するものに対する興味は、「女手」の完成とともに、急速にこの表現を発達させました。


心情表現を広げる一瞬の美を求めて

 「散らし書き」の起こりとその発達の要因については、いくつか挙げることができます。一つは、さまざまな和歌を書きしるした歌集などの表現において、生まれる余白空間の変化でしょう。「詞書」(※1)「作者名」「歌句」の配置の仕方によって、自然と異なる余白空間が生まれ、表現の幅が広がっていくことです。もう一つは、「かな消息」の表現様式が、次第に歌句表記にも発展してきたことが影響していると思われます。その他、いろいろな要素が複合的に絡み合って発達したと考えられます。

 丹念に並列的に、記録的な意識をもって書き記す漢字表記とは異なり、上下の高低や行間に変化をつけて書く「散らし書き」は、心情の高まりを強調する表現となります。微妙な動きの中に現れた一瞬一瞬を楽しもうとする日本人の美意識が、文字を書くという日常的所作にも自然に表われ出たものと言えるでしょう。


「散らし書き」は、当時の流行

平安期における書法の変化・流行について、『源氏物語』の「末摘花」(※2)の巻に、

紫の紙の、年経にければ灰おくれ古めいたるに、手はさすがに文字強う、中さだの筋にて、上下等しく書い給へり。見るかひなううち置き給ふ

【歌意】
紫色の紙が色あせて古ぼけた紙で、筆跡は強くはっきりとした、ひと昔前の行頭・行尾を揃えた書き方がなされている。これを見た光源氏は、“見る甲斐がない”と嘆いた。
 

といった記述があります。

 つまり、上下を揃えてきっちりと書くことは時代遅れであるが、筆が赴くままに自由に「散らし書き」をしている書は、趣があるとされていたのです。当時は消息(手紙)などにおいても、流麗な「散らし書き」の書が当世風の恰好良さと考えられていたことが窺えます。

《用語解説》
※1 詞書(ことばがき)
和歌の前書き。歌の題やその作品のできた事情を書いたもの。
※2 末摘花(すえつむはな)
源氏物語第6巻の巻名であり、その中の登場人物。