読み物

をぐら歳時記

小倉百人一首をひもとく

『小倉百人一首』を通じて書に親しむ◆その三


心を尽くした「文」で想いを伝える

『小倉百人一首』では、恋の歌が最も多く詠まれています。平安時代の貴族たちは、手紙のやり取りをするときに、色々と工夫を凝らしていたようです。今回は、かな書法を専門分野とされている京都橘大学の橋本先生に、その様々な工夫について、ご紹介していただきます。


定家が好んだ妖艶な美

 『小倉百人一首』は、奈良・平安・鎌倉の三期にわたる時代の、すなわち天智天皇から順徳院にいたる百人の歌人の和歌を一首ずつ選んで百首にまとめた歌集です。この『小倉百人一首』の撰者については、古くからさまざまな説がありますが、嵯峨の山荘において藤原定家が宇都宮頼綱(息子である為家の妻の父)のために色紙に書いて贈ったというのが今日の定説になっています。

 歌の部立(分類)をみますと、春(六首)、夏(四首)、秋(十六首)、冬(六首)、雑(※1)(十九首)、雑秋(※2)(一首)、恋(四十三首)、離別(一首)、旅(四首)となっています。「恋」や「秋」の歌が多い理由は、定家の好んだ妖艶な美を詠うものが、それらの中に多いからなのではないでしょうか。また、恋の歌が多いのは、平安時代、和歌を通して、男女が気持ちをとりかわしてことも関係していると思われます。また、自身の心や感情を表現するために、言葉だけではなく、様々な工夫や演出を凝らしていたようです。


貴族の教養・たしなみの一つだった和歌

 今回は、数多い「恋」の歌を取り上げます。『小倉百人一首』が作られた時代の上流界の女性の教養は、第一に習字、第二に音楽(琴)、第三に文学(『古今和歌集』の歌、千百首全部を暗記し、上手に歌を詠むこと)だったことは、よく知られています。本来、和歌は人に贈ったり贈られたりするものです。「きれいな紙に、きれいな字で、きれいな歌を書いて渡す」、これが当時の貴族のたしなみの一つでした。

 十一世紀初頭から半ばにかけて、「かな」は最盛期を迎えます。美しい「かな」が完成されると、それにふさわしい紙が求められ、さまざまな装飾をほどこした料紙(文字を書くときに使用する紙)が盛んに用いられるようになりました。『源氏物語』を読むと、貴族の男性や女性が手紙の紙と色にいかに心を尽くしたかが描かれています。男女共に、その人となりを知り得る一つの大きな手段は、「文(消息・手紙)」であったようです。
「文」の中には、文章と共に必ず「歌」が添えられ、恋文には浅緑や紅の色をした薄様(薄めの紙)が使われました。そして、紙に香をたき込むことも、自己を表現する大事な手段の一つだったのです。また、香のほか「文付枝」といって菊、桜、紅葉、紫陽花など季節の草花や小枝に「文」をつける習慣がありました。紙の質、色、香、書き方、添える花葉、さらに手紙の結び方まで、細やかな神経が使われました。季節や状況に合わせた紙や文付枝といった美の工夫は、手紙の内容とともに相手への感情豊かなメッセージでもあったのです。

《用語解説》
※1 雑(ぞう)
「四季」や「恋」といった分類のある中で、どれにも属さない和歌。
※2 雑秋(ざっしゅう)
「雑」の中で、秋の季節が詠みこまれているが、内容として秋がテーマでもないという和歌