をぐら歳時記
和歌が紡ぐ美意識を訪ねて
『小倉百人一首』の余情と美意識◆その一(一)
全てを語らず、想いを伝える
和歌とは、人の心を種として、折々の想いが様々な言葉となって現れ出たものですが、より共感を得るために、また想いを伝えるために、多くの工夫がなされています。それ故に「余情」が生まれるのでしょう。
今回は、古典和歌を専門に研究されている小山順子先生に、「余情」という観点で、和歌の背景から言葉選びや手法、また和歌に隠されたメッセージや美意識を読み解いて紹介していただきます。
花の色は
うつりにけりな
いたづらに
わが身よにふる
ながめせしまに[小倉百人一首 第九番 小野小町]
- 【歌意】
- 桜の花の美しさは、すっかり色あせてしまったのですね。春の長雨が降り続いている間に。そして私の容姿もすっかり衰えてしまいました。むなしい恋の思いに明け暮れて、ぼんやりと物思いにふけっているうちに。
「余情」を生み出す言葉選び
和歌で大切にされるものとして、余情があります。和歌は三十一文字という限られた字数で内容を表現します。その時に、誰がどこで何をしてこんなことを思った、ということを全て盛り込むことは至難の業です。ですから、全てを言い尽くすのではなく、そこに詠まれた情景や、主人公が感じたことを、読者が想像する余地を残すのです。
その際に要となるのが、言葉の選び方・使い方です。春の季節に合わせて、小野小町の歌を取り上げ、言葉の使い方をみてみましょう。
上の句から読んでいくと、美しさの盛りを過ぎた桜の花が詠まれています。下の句になると、それを見ている主人公が登場し、ぼんやりと過ごしてきたという虚しさが表されます。さらに第五句まで進むと、「ながめ」という言葉が出てきます。「ふる」は時間を過ごすという意の「経る」で、「ながめ」はぼんやりと「眺め」る、という意味ですが、「ふるながめ」と続くと、どうやらもう一つの意味が隠されていそうだ、ということに気付きます。「降る長雨」です。「降る」は「雨」に関係する言葉(縁語といいます)ですから、こうした連想が働くのです。掛詞という技法です。最後まで読んでもう一度、一首を見直してみると、春の長雨に打たれる桜の花が浮かび上がってきます。
「花の色」に小町の美貌を重ねて
ちなみにこの歌は、小野小町が自分の美貌の衰えを詠んだものだ、と解釈されてきました。小町は美女として有名で、後年、老いさらばえてさすらいの身となった、という伝説もあります。だから読者は、「花の色」という言葉に、彼女自身の美貌を読み取ってきたのです。百人一首かるたなどでは、小野小町は桜の花の模様の着物を着ています。それも、この歌の「花」が小町の美貌の象徴であると考えられてきたからでしょう。
言葉の共鳴が想像を育み、
和歌をより豊かに
小野小町の歌は、盛りを過ぎた桜の花を詠んだ、寂しさを感じさせる歌ですが、『小倉百人一首』には、もちろん、今を盛りと咲き誇る桜の花を詠んだ歌もあります。
奈良から八重桜が内裏(御所)へと贈られた時に、花の受け取り役をつとめたのが、天皇の中宮・彰子(※1)の女房(※2)として仕え始めたばかりの伊勢大輔でした。ただ受け取るのではなく、この花のことを歌に詠むよう、彰子の父・藤原道長(※3)に命じられて詠んだのが、この歌です。
いにしへの
奈良の都の
八重桜
けふ九重に
にほひぬるかな[小倉百人一首 第六十一番 伊勢大輔]
- 【歌意】
- その昔、奈良の都に咲き誇った八重桜が、今日は一重を増さんばかりに一段と美しく、この平安宮中(九重)で、ひときわ美しく咲き誇っていることですよ。
大勢の中で試された結果、彼女の歌は優れたものだと絶賛されました。爛漫の八重桜の美しさを詠むだけではなく、それが今咲き誇っているのが「九重」(宮中)であるということも詠むことで、宮廷は「いっそう美しい」と誉め称える見事な歌だと評価されたからです。
「いにしへ」と「今日」、「八重」と「九重」が対応関係にある縁語です。「九重」は、中国では王城の門を何重にも造ったことから、宮中を意味する言葉です。八重咲きの桜と、天皇や貴族が揃う春の盛りの宮廷という二重の華やかさが、この歌には溢れています。
それぞれの言葉が絡み合うことで、連想を呼び込み、想像をかき立て、和歌の内容がより豊かになってゆく。読者の想像力もまた、和歌には不可欠なものなのです。
- 《用語解説》
-
※1 中宮・彰子(ちゅうぐう・しょうし)
藤原彰子(ふじわらのしょうし:988~1074年)。
一条天皇の妃。 -
※2 女房(にょうぼう)
宮中に部屋を与えられ、朝廷に仕える上級女官の総称。 -
※3 藤原道長(ふじわらのみちなが)
平安中期の公卿󠄁で摂政・太政大臣(966~1027年)。