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をぐら歳時記

和歌が紡ぐ美意識を訪ねて

『小倉百人一首』の余情と美意識◆その二(一)


和歌に描かれた情景を偲ぶ

和歌とは、人の心を種として、折々の想いが様々な言葉となって現れ出たものですが、より共感を得るために、また想いを伝えるために、多くの工夫がなされています。それ故に「余情」が生まれるのでしょう。
今回は、古典和歌を専門に研究されている小山順子先生に、「余情」という観点で、和歌の背景から言葉選びや手法、また和歌に隠されたメッセージや美意識を読み解いて紹介していただきます。


春すぎて
  夏来にけらし
     白妙の
 ほすてふ
    天の香具山

[小倉百人一首 第二番 持統天皇]
 

【歌意】
大和平野にも、ようやく春が過ぎていつの間にか夏が来たようだ。夏になると白い衣を干すという天の香具山のあたりには、白い衣が点々と干されていることよ。
 

心に響く余情を醸し出す歌枕

 和歌にはしばしば、現実にある地名が詠み込まれることがあります。詠まれている場所がどこかを具体的に設定することは、連想を喚起させて和歌の内容をより豊かにしていく効果が期待できます。地名が登場してきたときに、そこに行ったことがあれば、その地形や景色を思い出しながら和歌の場面を想像するでしょう。

 一方、行ったことがなければないで、詠まれている景色から、まだ見ぬ土地を想像することになります。そういったことも味わいや趣きとなって、心に響いてくる余情をもたらすのでしょう。

 和歌によく使われる地名を歌枕といいます。ここでは歌枕を中心に、詠まれた情景を想像してみたいと思います。

 裏地のある服から薄く軽い服装に着替えるのは、夏への準備です。和歌でも夏用の衣を用意する衣替えは、初夏の題材の一つです。持統天皇の歌では、天の香具山に真っ白な夏用の衣が干されている様子が詠まれています。初夏の山は新緑が陽光に輝いており、白い衣が干されている様子は、緑と白のコントラストが鮮やかで爽やかな光景といえます。

 天の香具山は、現在の奈良県橿原市にある山で、耳成山・畝傍山とならんで、大和三山の一つです。持統天皇が政治を執り行った藤原京からは東南の方角で、目と鼻の先にありますから、持統天皇にとっては日常的に目にする山だったと思われます。

 実は香具山には、おもしろい言い伝えがあります。天から山が二つに分かれて落ち、一つが伊予国(現在の愛媛県)の「天山」となり、一つが大和国(現在の奈良県)に落ちて「天の香具山」になったという伝説です。また、天照大神が天の岩戸にこもった時に、天児屋命は天の香具山の波波迦(※1)の木を燃やして占いをし、榊を掘り取って天照大神の出現を祈る祝詞をあげたといいます。天岩戸神話に深く関わることから、今でも天の香具山の麓には天岩戸神社があります。

 実際の香具山は、標高百五十二・四メートルの小高い丘のような低い山ですが、神話の伝承を持つ神々しい山でもありました。この持統天皇の和歌では、そのような神聖な山が初夏を迎える清浄な景色を思い浮かべることができるのです。


風そよぐ
  ならの小川の
     夕ぐれは
 みそぎぞ夏の
    しるしなりける

[小倉百人一首 第九十八番 従二位家隆]
 

【歌意】
風に楢の葉がそよいでいる、このならの小川の夕暮れは、とても涼しく秋のような感じだが、川のほとりで夏越のみそぎがおこなわれているのが、まだわずかに夏であることのしるしなのだなあ。
 

繊細な感性で季節の移ろいを表現

 持統天皇の歌は夏の始まりを詠んでいましたが、こちらは夏の終わりの歌です。旧暦で夏の最終日にあたる六月末日には、『夏越の祓』(※2)が執り行われます。宮中や神社では、人形に切った紙で体を撫でたものを川に流して穢れを祓い、水辺に斎串(※3)を立てて祝詞をとなえる儀式を行いました。

 風が大きな楢の葉を揺るがせながら、そよそよと吹いています。夕暮れの小川で風を感じていると、秋が来たような涼しさです。けれど『夏越の祓』をしているのですから、秋の気配が感じられても、今はまだ夏なのです。「ならの小川」は、植物の「楢」と地名「ならの小川」の掛詞です。ならの小川は、京都市北区の上賀茂神社を流れる川で、御手洗川と御物忌川が合流して、ならの小川になります。現代でも、蛍が飛び交うくらいにきれいな水が流れています。

 場面は、神社の境内を流れる小川で、穢れを祓う神事を行う夏の終わりの夕暮れ。川べりでの木陰と風がもたらす清涼感と神事での緊張感の両方を共有することができます。日本人ならではの繊細な美意識で移ろいゆく季節を感じとり、巧みに表現した一首といえるのではないでしょうか。

 歌枕は、和歌の中に連想と想像を働かせます。その和歌に詠まれる歌枕がどのような場所や土地柄であるかを知ると、いにしえの人々の暮らしや四季との関わりが想起され、何をどう感じていたのかが、より一層、理解できるのです。

《用語解説》
※1 波波迦の木(ははかのき)
天香山神社の境内にある朱桜(かにわざくら)という古名で知られる木で、古代の占いに用いられたと言われています。
※2 夏越の祓(なごしのはらえ)
現在でも京都では6月末に執り行われている神事で、神社の境内などにつくられた茅の輪をくぐって半年分の穢れを落とすため、別名「茅の輪くぐり」とも呼ばれています。
※3 斎串(いぐし)
神に供えるために麻や木綿などをかけた榊や竹(玉串ともいう)。