をぐら歳時記
和歌が紡ぐ美意識を訪ねて
『小倉百人一首』の余情と美意識◆その三(二)
硝子の空間を『雅な色』に染めて
『小倉百人一首』に出会い、和歌の持つ余情と美意識に魅せられて活動されている方々に登場いただき、和歌の奥深さをどのように感じ、創作などに反映されてきたのかについて、ご紹介していきます。
今回は、平安時代の雅な世界をテーマに創作活動をしておられるガラスアーティストの玉田恭子様に、『小倉百人一首』との出会いと共に、ご自身の取り組みについて語っていただきました。
美しい紫の姫君に魅了された一羽の幼き蝶々
私が初めて『小倉百人一首』と出会ったのは幼い頃、お正月に親戚と遊んだかるた取りでした。まだ文字も読めなかった私は、年上のいとこたちに「恭子ちゃんは蝶々の役ね」と言われ、皆の周りをひらひらと回っていたのを覚えています。はじめは、絵札に描かれた綺麗なお姫様にただ目を奪われていました。少し大きくなると、その内の一人に色の名前が付いていて、その色目の着物を着たお姫様がいることに気付いたのです。それが紫式部でした。まずはこの札を一番に覚えて、取れるようになろうと思ったものです。
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに
雲がくれにし 夜半の月かな[小倉百人一首 第五十七番 紫式部]
- 【歌意】
- 久しぶりに出会ったが、懐かしいあなたがどうかわからないうちに帰ってしまった。たちまち雲に隠れたあの夜中の月のように。
もちろん意味はわかりません。「紫色なら知っている」というだけでしたが、幼い私が百人一首に興味を持つきっかけとしては十分でした。それからというもの、皆と一緒にかるた取りで遊ぶようになった私でしたが、お正月が終わってもお姫様の札を箱に戻さず、自分の引き出しに入れて時折り出しては眺める日々・・・。遠い昔の姫君達の美しい十二単とその色合いから、宮廷の雅な生活を思い描いていました。
純粋な美意識を思い出させてくれた
海外での活動
年月が経ち、美術大学を卒業した私は、アメリカでガラスアートを学びました。「作品制作とは自己表現だ」という強い意志を持ちながらも、制作における意味合いをはっきりと見出せず、どこか表現に気迫の弱さを感じながら、ガラスアーティストとして様々な作品を制作していました。
転機が訪れたのは、二〇〇六年。日本の年中行事をガラスアートで表現し、ロンドンで紹介するという在英日本国大使館後援の企画に参加し、続く二〇〇八年には、日英交流一五〇周年記念、また『源氏物語千年紀』として大使館内ギャラリーにて作品展示文化交流イベントを行うことになったのです。日本の年中行事、伝統文化、紫式部。この時、私の中の歯車がカチッとかみ合ったのを感じました。
それまでにも、中高生の頃に国語の授業で百人一首や紫式部には出会っていましたが、それは学問であって特に私の琴線に触れることはありませんでした。
しかし、幼少期に感じたあの純朴な想いや自然に生まれた美意識を、制作という形を通すことで作品に投影出来るようになったのです。
色と文字をかさね、
想いを込めた「かさね硝子」
この頃に生み出したのが、古典籍をガラスに込めたオリジナル技法「かさね硝子」です。吹きガラスの技法で筒状に吹いたガラスをカットし、再加熱して板状にしたものを短冊形にカット、その一枚一枚に毛筆で文字を書き、それらを重ね合わせ再び加熱することでひとつの作品に仕上げます。ベースのガラスは、複数の色を何層にも重ね、墨流し模様を描きながら吹き上げていきます。そこには、情景や登場人物たちやその個性と共に、その時々の作品にそそぐ私の想いもガラスに重ね封じ込めています。
色彩の墨流しに時の流れや空間を表し、それらにまつわる情感をガラスの中に込めた「かさね硝子」。見る人をガラスの時空に誘い、浮遊し、その世界に共振し、またそうした自分を俯瞰して欲しい、そんな想いも込めて制作しています。
雅を世界へと発信するというテーマ
『小倉百人一首』で出会った紫式部をきっかけに始まった私のガラスアート制作は、「古今集」「三十六歌仙」「源氏物語」「祈りのかたち」と表現の幅を広げ、今はもう一度”紫式部”その人に迫りたい、挑みたいと制作を積み重ねています。
毎年各地で作品を展示していますが、毎回「未だかつて見たことがない」「全く新しい表現法」とのお言葉を頂いています。幼い私が思い描いていた雅な世界観をこの手で表現し、世界で評価をいただくことで、自分自身のテーマを見つけられたように感じました。そしてずっと模索していた「制作における意味合い」が静かに、しかし確かな力強さで自身の中にあったのだと気付かされました。今後もガラスアートを通して、より多くの方々にこの雅な世界観を感じていただければと思います。