読み物

をぐら歳時記

日本の内と外から探る日本人の精神性

『小倉百人一首』にみる日本文化の魅力


今回は、『小倉百人一首』を一つの切り口としながら、日本人の精神性や日本文化の魅力について、古典和歌を専門に研究されている小山順子先生と英語版百人一首かるた『WHACK A WAKA 百人イングリッシュ』を作成されたピーター・マクミラン氏による対談を実施。様々な視点から日本人の価値観や文化などについて語り合っていただきました。


和の精神と自然により育まれた感受性

――日本には「暗黙の了解」といったような、特有の文化があります。来日されて三十年が経たれますが、マクミランさんにとって日本文化はどのように映っていますか。

マクミラン 明治時代に日本へ来た外国人は、日本人の表情がないと感じて、冷淡だと思っていたそうです。私は逆で、西洋人よりも情を感じることが多いです。情が深いからこそ、衝突を避けるために情を隠そうとするナイーブさが見られるのだと思います。日本人が婉曲的な表現を好むのは、そういった背景があるのではないでしょうか。

小山 そういった婉曲な表現というのは、和歌にも顕著です。

マクミラン 和歌の表現においても婉曲的に、相手へ自分の思いを伝えるということが感じられます。日本の精神文化である「和を以て貴しとなす」という教えが、行動と言葉と美意識にまで影響しているのでしょう。
 対して西洋では、正義を一番大切にするため、逆なのです。主張するのが当たり前だから主張せざるを得ない。どちらが優れているというわけではなく、どちらも必要だと思います。日本の精神性だけでは損する場合もあります。けれども私たち西洋人が「和を以て貴しとなす」ということを身に付ければ、二つの世界観でさらに豊かになれると思うのです。私は、この考え方に出会ったことで自分の視野も広がり、とても感謝しています。

――日本には四季があって、それが和歌にも影響を与えています。また花見や紅葉狩り、月見の文化など、自然を通して美意識が醸成されてきたと考えるのですが、いかが思われますか。

マクミラン 四季に関しては、私の母国アイルランドでも春の歌や秋の歌も詠みますし、象徴的な花もあります。春は水仙とスノードロップ、夏はバラ、秋だとブラックベリーでしょうか。

小山 それではマクミランさんから見て、日本独自の特徴とは何でしょうか。

マクミラン 日本独自なのは、四季よりも自然ですね。自然に自分の心を託すのが日本人かな、と思います。もちろんその中で、春は桜、夏はホトトギス、秋は鹿と月、冬は雪・・・と、季節に合ったものをピックアップしてくるわけです。
 また例えば、見えない月を部屋の中から想像していくというのは、日本独自の特徴なのではないですか。西洋だと、無いものは無いとしますから。日本人は、実際にそこに無くても心の中で想像を膨らませて感じるといったところがあるようで、そこに日本人の美意識を感じます。


日本の象徴は「桜」、そして「月」

――日本では“出会いと別れ、喜びや切なさ”を「桜」に投影することが多いのですが、マクミランさんがお考えになる日本の象徴的なものは、やはり桜でしょうか。

マクミラン そうですね、アイルランドにも桜はありますが、趣きがなくて遅く芽吹き、長く咲いて、散っていくんです。みんな大して愛でないんです。どこにでもあるわけではなく、歌が詠まれたわけでもないですね。元々アイルランドにあったのかどうかも分かりません。日本では、桜は『万葉集』の時代から詠まれていますよね。

小山 はい、詠まれています。平安時代からは「花」といえば桜を指します。

マクミラン そして今日に至るまで、ずっと詠まれてきていますよね。

小山 個人的に関心があるのが、西洋の詩歌における月の捉え方です。中国の漢詩では満月だけが題材とされますが、日本では十六夜月など細かく月の名前がついています。

マクミラン 和歌の世界においては、共通したイメージがありますよね。

小山 確かに有明の月が恋の切なさを象徴したり、月を見て悲しいと思う、といった典型的なパターンがあります。月の見方というのは西洋ではどうでしょうか。

マクミラン 日本では、いくつか型があるわけでしょう。でも西洋にはそういったものもないから、個人によって多様です。中でも一番日本と違うのは、「狂気」のイメージがあることですね。

小山 ルナティック(lunatic、狂気の意。「luna」はラテン語で月の意)ですね。月光が狂気をもたらすと考えられています。狼男が現れるのも満月の夜ですし、月との関わり合い方が違うんでしょうね。

マクミラン それが特徴的です。もちろんロマンティックに美しく愛でる歌もあります。但し、外国人は日本を「Land of the Rising Sun(日出づる国)」とよく言いますが、私は、日本は「月の国」だと思います。

小山 和歌では、基本的に太陽は詠まないですからね。月の方がずっと重要な題材です。

マクミラン 日本では、月の暦を用いていた影響もあるのでしょう。西洋は太陽暦(グレゴリオ暦)なので、そこも違います。日本文化と西洋文化の違いをピックアップすると、まずは「桜」、次に「月」が挙げられると思います。


和歌は教養であり、恋の判断基準

――平安時代では、上手な和歌が作れることから恋が始まるとされていましたけれど、なぜ和歌が大切だったんでしょうか。

小山 実際に相手の姿を見ないということが大きいですね。古典の中で「見る」「逢ふ」は、男女の関係ができることまで意味する言葉です。その前の段階で恋心が高まっていなくてはいけない。だから“良い香りがする、髪が綺麗、着物のセンスがいい”、といった間接的な面が重要になります。そういう要素の一つとして、和歌の持つ意味が大きいのです。

マクミラン 贈答歌の中で、初めて恋愛が出来るわけですね。共寝に至るまでのプロセスが大事であって、その手段は歌だけ。だから女性が歌をもらった時に、“紙の質と飾りと字の上手さ”も判断基準となるので、とても重要となりますね。男性は、歌が詠めないと恋も出来ない。コミュニケーションの過程として捉えると、和歌で教養が伝わります。だから歌の上手さだけではなくて、この人となら安心して付き合っていいという判断のための、最低限の常識といった部分として捉えられていますよね。

小山 和歌の内容がちゃんと通じるというのは、話が通じる、つまり自分と同じ基盤に立って物を考えられるということなので、そういう意味でふるいにかけるところはあったのでしょう。

マクミラン そして女性は、最初はお断りしないといけない。冷たく跳ね返す。

小山 和歌で女性は最初ぴしりと断りますけど、あれは一種のコケットリー(媚態・・・戦略的に気を引く態度)と言ってよいでしょう。

マクミラン 和歌を通して演技をしているわけですね。本当は好きなのに、わざと冷たく突き放したり。それも一つのプロセスとしてあるわけです。

小山 逆に言えば、男性から女性にアプローチするときに、「死んでもいいほど、あなたのことが好きです」というのも演技としか言えない。だから両方ともが大げさに演技をしながら駆け引きをしているのですし、そういうのが面白さなんでしょう。

マクミラン それも和歌が発達していった理由の一つかもしれませんね。

小山 今日は色々とありがとうございました。お話を伺えて参考になりました。

マクミラン 私こそです。ありがとうございました。