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をぐら歳時記

院政とともに栄えた王朝の雅

こころの充電を図る 貴族の別荘地◆その二


 平安時代、貴族たちは都から離れた風光明媚な地に別荘を建て、リフレッシュしていました。ここでは、貴族の別荘地にスポットを当て、そこでの過ごし方などを通して、どのように心の充電を図っていたのかを紹介していきます。

 古典和歌を専門に研究されている小山順子先生に、平安貴族の四大別荘地の中から、夏号では白河院が築いた「鳥羽離宮」について、語っていただきます。


強大な権力の象徴でもあった『鳥羽離宮』

 現在の「城南宮」は、かつて「鳥羽殿」と呼ばれた離宮の一部にあたります。「城南宮」とは、‶平安城(平安京の異名)の南”を意味し、延暦十三年(七九四年)の平安京遷都の際に、都の安泰と国の守護を願って創建されたと伝えられています。この「城南宮」を含め、応徳三年(一〇八六年)から翌年にかけて造営されたのが「鳥羽殿」、すなわち『鳥羽離宮』でした。
 鳥羽の地は、鴨川・桂川の合流地点で交通の要所でもあり、また景勝地として、平安時代から貴族の別荘が多くあった場所でした。藤原季綱という貴族が持っていた別荘を白河天皇に献上し、天皇退位後の後院(仮の御所)として、季綱の別邸を拡張して築かれたのが『鳥羽離宮』です。

 白河院は、息子・堀河天皇、孫・鳥羽天皇、曾孫・崇徳天皇の三代にわたり、上皇として天皇以上の実権を持って、政治を行った人物です。白河院が築いた『鳥羽離宮』は、現在の京都市南区上鳥羽、伏見区下鳥羽・中島・竹田にかけて、約一八〇町(約178万㎡)の広さを持つ大邸宅・大庭園でした。
 上皇が天皇以上の権力を持ち、実質の治世者となる政治形態が院政であり、平安時代末の十一世紀後半は院政期と呼ばれます。院政期、『鳥羽離宮』は上皇が愛した別邸であり、そこでは歌会や競馬などの会が催され、また政治の舞台としても様々な形で歴史書・文学に登場することになります。


白河院の長寿や繁栄を祈った和歌会の歌

詞書※1

 白河院鳥羽殿におはしましける時、松遐年を契るといへる心をよめる

 

神代より 
 ひさしかれとや 動きなき
磐根に松の
   種をまきけん 

[千載和歌集・賀・六一四 源俊頼朝臣]
 

 作者の源俊頼は、『小倉百人一首』に「憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを」(七十四番)の歌が取られていますが、院政期に大歌人として活躍した人物でした。「神代より」は康和三年(一一〇一年)十月二十七日に白河院が『鳥羽離宮』に御幸し、開かれた和歌会での歌です。意味は「神代以来、永遠であれとの神意をこめて堅く動かない大岩の根元に松の種を蒔いたのだろうか」。常緑樹で落葉せず、さらには樹齢も長い松は、治世・繁栄の持続や不老長寿を祈る題材でした。その松が生えているのが堅固不動の大岩ということで、どっしりとして永遠に変わらない姿を表現しています。

 歌題の「松遐年を契る」とは、松が遥か遠くまでの年月を約束する、という意味です。俊頼は、歌会の主催者である白河院の長寿(当時四十九歳)とともに、その治世が平和と繁栄とともに久しかれと祈念したのです。

 白河院の後、鳥羽院・後白河院・後鳥羽院へと『鳥羽離宮』は受け継がれました。


平安王朝の栄華を映した庭園

詞書

 鳥羽殿初度 池の上の松風

 

松風に 
 うち出づる浪の 音はして
こほらぬ池の
  月にこほれる

[後鳥羽院御集 一五三五]
 

 作者の後鳥羽院は、『小倉百人一首』にも「人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は」(九十九番)の歌が取られています。後鳥羽院は『鳥羽離宮』の壊れた個所を修造しただけでなく、新御所・新御堂(寺院)も造営しました。「松風に」の歌は、建仁元年(一二〇一年)四月二十六日に『鳥羽離宮』で、北殿(北の御殿)を修造した記念に開催した歌会で詠まれた歌です。歌意は、「松に風が吹くとさっと立つ浪の音がして、凍らない池が月のために凍って見える。」松の音がまるで波の音のようだ、池の水が月の光に凍りついたようだと、聴覚と視覚両方で、ありもしない情景を捉えています。

 『鳥羽離宮』の中央には、南北八町(約870m)・東西六町(約650m)にわたる巨大な池がありました。題の「池の上の松風」は、この池の周囲に植えられた松に吹く風を詠むことを求めています。歌会は旧暦の四月に行われていますから、季節は夏です。夏の暑さの中、松を吹く風が立てるサラサラという音は、まるで波音のように聞こえて涼しげです。また、月の光も、冷たく冴えたものですから、水を凍りつかせるようだと見たのです。夏の暑さを忘れさせるような清涼感をもたらす松風の音と月光を、『鳥羽離宮』の池の情景として詠んだのが、この歌でした。
 承久三年(一二二一年)五月、後鳥羽院は「城南流鏑馬」にこと寄せて諸国の兵を集め、北条義時追討の兵を挙げました。二〇二一年、八〇〇年の記念の年を迎えた「承久の乱」です。「承久の乱」も、『鳥羽離宮』を舞台として火蓋が切られたのでした。

《用語解説》
※1詞書(ことばがき)
和歌集に記載されている、和歌が詠まれた状況・日時・歌題などを示す説明文。