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をぐら歳時記

小倉山の照る葉に心ふるわす

こころの充電を図る 貴族の別荘地◆その三


 平安時代、貴族たちは都から離れた風光明媚な地に別荘を建て、リフレッシュしていました。ここでは、貴族の別荘地にスポットを当て、そこでの過ごし方などを通して、どのように心の充電を図っていたのかを紹介していきます。

 古典和歌を専門に研究されている小山順子先生に、平安貴族の四大別荘地の中から、秋号では『小倉百人一首』の名称のもととなった小倉山のある「嵯峨嵐山」について、語っていただきます。


貴族に愛された風光明媚な地「嵯峨嵐山」

現在でも多くの観光客が訪れる「嵯峨嵐山」は、平安時代から風光明媚な地として知られ、貴族の別荘地として愛されてきました。
 平安時代初期、嵯峨天皇が離宮を造営して以来、様々な貴族が別荘を築いたのです。特に草花が咲き乱れ、紅葉の美しい秋の風情が愛されました。
 源氏物語より前に書かれた長編物語『宇津保物語』の「吹上 下」巻には、帝が秋の最も良い時期を登場人物の源仲頼に尋ねた後、野山の中ですぐれた場所はどこかを重ねて問う場面があります。仲頼は「近きほどには、嵯峨野、春日野、山は小倉山、嵐山なむ侍る(近い辺りでは、嵯峨野、春日野(奈良)、山は小倉山、嵐山がございます)」と答えており、京では嵯峨野・小倉山・嵐山が特に秋の景勝地として人々に知られていたことがわかります。
 小倉山は標高296mの小高い山で、現在でも紅葉の名所として親しまれています。秋の小倉山を詠んだ歌も、『小倉百人一首』に選ばれています。

小倉山 
 峰のもみぢ葉 心あらば
今ひとたびの
   みゆき待たなむ 

[小倉百人一首 第二十六番 貞信公]
 

 【歌意】小倉山の峰の紅葉よ、お前に心があるならば、もう一度の行幸(ぎょうこう)を散らずに待ってほしい。

 出典の『拾遺和歌集』の詞書※1によると、宇多上皇が大堰川に御幸なさった時に、息子の醍醐天皇の行幸があってもよいほど素晴らしい所だ、とおっしゃったので、随行していた貞信公・藤原忠平が詠んだ歌であると記されています。
 小倉山の紅葉に対して、お前に心があるならば醍醐天皇の行幸までに散らずに待っていてほしい、と呼びかけています。宇多天皇が息子の醍醐天皇にも見せたいと願う気持ちを汲んでほしいと詠むこの歌は、君主と臣下がともにそのように願うほど美しい小倉山の紅葉を彷彿とさせます。


小倉山の別荘で撰ばれた『小倉百人一首』

 この小倉山に別荘を営んだ貴族の一人が、『小倉百人一首』の撰者・藤原定家でした。『小倉百人一首』は、鎌倉幕府御家人(将軍直属の武士)だった宇都宮頼綱(法名/蓮生)の別荘・中院山荘の襖を飾るために、定家が和歌を選び、色紙に書いたものだったと伝えられています。鎌倉の武士でしたが、歌をたしなむ頼綱は定家と親交を持っていました。頼綱の中院山荘の近くに、定家の別荘・小倉山荘もありました。小倉山荘で撰んだものということで、『小倉百人一首』と呼ばれるのです。
 現在、小倉山にある厭離庵や二尊院、常寂光寺などが、定家の小倉山荘があった場所と伝えられる場所です。定家は自身の日記『明月記』に、小倉山の山荘のことを「中院草庵」「嵯峨草庵」と記していますが、後世には小倉山荘または時雨亭が定家の山荘の名として広まりました。「時雨亭」の呼称は、室町時代に作られた謡曲(能の台本)「定家」に登場しますので、室町時代には時雨亭という呼び名も広まっていたのでしょう。この名は定家の歌「偽りの なき世なりけり 神無月 誰がまことより しぐれそめけむ(人の世は偽りが多いのに、自然の世界には偽りが無いのだなぁ。十月になり、いったい誰の言葉が本当になって時雨が降り始めたのだろう)」に由来すると、謡曲の中で解説されています(ちなみに時雨亭は定家の洛中の家であったという説もあり、諸所に旧跡があります)。 


 紅葉の色を一雨ごとに染めゆく時雨 

 定家の歌の中に、小倉山の紅葉と時雨を詠んだ歌があるので紹介します。 

 

詞書

  建保五年四月十四日庚申五首、秋朝

 

小倉山 
 しぐるるころの 朝な朝な
昨日は薄き
   四方の紅葉ば 

[拾遺愚草 秋 二三九二]
 

 【歌意】小倉山に時雨が降る頃は、毎日朝になると、辺りの紅葉の色が濃くなり、昨日は色が薄かったと思う。

 古典においては、時雨が紅葉の色を染めてゆくと捉えられていました。時雨が降る季節になると、毎朝、紅葉の色が昨日よりも濃くなっていることを感じとる、一雨ごとに変化する紅葉の色を観察する歌です。
 建保五年(一二一七年)四月十四日、庚申の夜に五首歌会で詠んだ中、「秋の朝」を歌題とした歌です。 定家は当時、五十六歳でした。庚申の夜は、眠ると腹の中にいる三戸虫が天に上って、その人の罪を天帝(神様)に告げるという信仰があったので、眠らずに一晩を明かしました。その徒然を慰めるために歌会を開いたのでしょう。 歌会は旧暦四月なので夏に開かれていますが、定家の脳裏には、秋の小倉山荘で見た、時雨に濡れる鮮やかな紅葉の景色が広がっていたのではないでしょうか。

《用語解説》
※1詞書(ことばがき)
和歌集に記載されている、和歌が詠まれた状況・日時・歌題などを示す説明文。