をぐら歳時記
清浄の地が育んだ幽美な情景
こころの充電を図る 貴族の別荘地◆その四
平安時代、貴族たちは都から離れた風光明媚な地に別荘を建て、リフレッシュしていました。ここでは、貴族の別荘地にスポットを当て、そこでの過ごし方などを通して、どのように心の充電を図っていたのかを紹介していきます。
古典和歌を専門に研究されている小山順子先生に、平安貴族の四大別荘地の中から、冬号では『源氏物語』宇治十帖の舞台ともなった「宇治」について、語っていただきます。
「平等院」は元々、貴族の別荘が始まり
京都市の南隣に位置する宇治は、古来、様々な天皇・上皇・貴族の別荘が営まれていた場所です。京都と奈良を結ぶ交通の要所であり、琵琶湖から宇治川、木津川へと木材を運ぶ水運が盛んでした。古くは、神話の時代に応神天皇が離宮を造り、その王子・菟道稚郎子が宮居とした桐原日桁宮の跡地が、現在の宇治神社です
平安時代初期には、河原左大臣と呼ばれた源融(小倉百人一首・十四番の作者)の別荘が宇治川左岸にあり、「宇治院」と呼ばれました。陽成院(小倉百人一首・十三番の作者)も融の宇治院に滞在しています。融の宇治院は、その後、長徳四年(九九八年)に藤原道長の手に渡り「宇治殿」と呼ばれるようになりました。
道長の死後、その息子・頼通は、永承七年(一〇五二年) に宇治殿を寺院に改め、「平等院」と名付けました。翌年には、極楽浄土をこの世に現したような阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立され、現在でもその威容を誇っています。
宇治の冬の風物詩「網代木」の光景
宇治の名物として有名だったのが、氷魚漁です。晩秋から冬にかけて、宇治川では氷魚 (鮎の稚魚)が捕られ、宮廷に献上されました。宇治川の瀬に杭を打ち、柴や竹を細かく立てて並べ、氷魚を簀の中へと誘い込んで捕る網代漁の景色は、宇治を代表するものとなります。和歌にも宇治の網代漁は格好の題材として取り上げられ、詠まれました。それとともに、氷魚漁が行われる晩秋から冬が、宇治に最もぴったりな季節として定着していきます。
朝ぼらけ
宇治の川霧 たえだえに
あらはれわたる
瀬々の網代木[小倉百人一首 第六十四番 権中納言定頼]
【歌意】明け方、あたりが徐々に明るくなってくる頃、宇治川の川面にかかる朝霧も薄らいできた。その霧がきれてきたところから現れてきたのが、川瀬に打ち込まれた網代木だよ。
晩秋から冬にかけての宇治川の風景です。朝になって霧が晴れ始め、霧の絶え間が生じ、ほのかな朝の光の中に宇治川の網代木が見える様子を詠んでいます。夜の間、夜闇と霧によって閉ざされていた視界が、朝になって徐々に開けてくる様子です。早朝の冷え冷えとした空気や、宇治川の瀬音も想像させられます。平安時代の貴族たちにとって、網代漁は日常の生活では目にしない鄙びた景色でした。宇治川に立てられた網代木も、物珍しく風情を持った非日常の情景として目に止まるものだったのです。
『源氏物語』宇治十帖が誘う詩情の世界
小倉百人一首の撰者の藤原定家も、宇治川の歌を数多く詠んでいます。その中の一首を取り上げましょう。
さしかへる
宇治の川長 袖ぬれて
雫のほかに
払ふ白雪[拾遺愚草員外 二八四]
【歌意】棹を挿しかえて行き来する宇治の渡し守(もり)の袖が濡れて、川水の雫のほかに払うものは白雪だ。
建久二年(一一九一年)に藤原家隆に贈った四十七首のうちの、冬題の一首です。この四十七首は、「いろは四十七文字」を一字ずつ、それぞれ和歌の冒頭に置いて詠んだものでした。定家は当時三十歳で、実験的な和歌を次々と試みていた頃です。「いろは四十七文字」を冒頭に置いて和歌を詠むというのも、そうした試みの一つでした。
定家が詠んでいるのは、宇治川を往来する渡し守(渡し舟の船頭)の姿です。川水で濡れるだけではなく雪も袖に降り積もり、それを払わなければならないという、雪が降る宇治川の景色が詠まれています。
定家のこの歌は、実は『源氏物語』・「橋姫」巻の「さしかへる 宇治の川長 朝夕の 雫や袖を くたしはつらむ」を本歌取り※1しています。『源氏物語』は、光源氏の死後、その息子とされる薫を主人公に、宇治を舞台に恋物語が展開します。晩秋に、宇治に隠棲する八の宮の二人の娘・大君と中君を垣間見た薫は、大君と和歌を交わすようになります。
定家が本歌取りした歌は、大君から薫への歌です。「棹を挿しかえて行き来する宇治の渡し守は、朝夕の棹の雫が袖を朽ちはてさせてしまうでしょう (私も朝夕に涙を流し、同じように袖を朽ちはてさせるでしょう)」 という意味です。 物思いに沈む大君自身を、袖を波で濡らす川長に重ねた歌です。
定家は大君が詠んだ晩秋の宇治川の情景を借りて、今は冬だから雪までもが袖に積もっていると詠みました。 定家の時代には、宇治の風景は『源氏物語』の場面を彷彿とさせるものになっていたのでした。
- 《用語解説》
-
※1本歌取り(ほんかどり)
古い和歌の物語から詞(ことば)を抜き出し、自分の和歌に用いること。