読み物

をぐら歳時記

「たしなみ」の遊戯◆其の四

雄壮な姿にみる、権威の象徴「鷹狩」


 平安貴族にとって遊戯は、単なる楽しみというだけでなく、競い合いであり、人間関係であり、たしなみや教養の一つでもありました。ここでは、貴族の遊戯にスポットを当て、その本質や内容とともに様々な逸話について紹介していきます。

 古典和歌を専門に研究されている小山順子先生に、平安貴族の遊戯の中から、冬号では高貴な人々の権威を高める手段でもあった「鷹狩」について、語っていただきます。


鷹狩を陰で支えた専門家・鷹匠の存在

 鷹狩は、鷹を使う狩猟です。アジアの遊牧民族が発祥であると言われており、ヨーロッパ、ユーラシア、北アフリカなど世界中で行われている狩猟方法です。日本では仁徳天皇時代、西暦355年から始まったと伝えられています。殺生を禁じる仏教思想の影響もあり、禁止令が何度も出されましたが、奈良・平安時代には大変盛んになりました。

 鷹狩は鷹を飼いならし、獲物を捕らえさせます。使う鷹は、オオタカ、クマタカ、ハヤブサ、ハイタカなどで、ハヤブサやハイタカなど小型の鷹を使う場合は、「小鷹狩」と呼んで区別します。雉、野兎、雁、鴨などが主な獲物です。
 獲物が見つかると、まず勢子(狩場で鳥獣を駆り立てる人夫)と犬が、獲物を追いたてます。そして、鷹を呼び子で誘導しながら獲物に近づけて飛ばすと、鷹が獲物につかみかかります。

 大きな鷹が獲物を捕まえて空を飛び、着地する様は雄壮です。鷹狩には、鷹、広い狩猟地、高い専門知識が必要ですから、限られた人しか嗜めません。平安時代から江戸時代まで、天皇・親王や貴族、将軍、大名など、身分の高い人々の遊戯として続き、権威の象徴となりました。

 鷹狩を行うには、何ヶ月もかけて鷹を飼いならさなくてはなりません。鷹を飼いならして訓練する人を鷹匠といいます。鷹は野生動物なので、鷹の体調を良い状態に整えたり、人間の命令を聞かせて行動させるためには、専門的な知識・訓練・経験が必要となります。そこで、鷹匠としての知識や訓練方法を継承する流派が生まれました。
 現代まで伝わる鷹狩の流派が、「諏訪流」です。『諏訪流放鷹術保存会(代表/大塚紀子・第十八代宗家)』は、「諏訪流」を継承して伝統的な鷹狩の技術を保存し、鷹狩のデモンストレーションを行っています。


和歌などの題材に描き出された鷹狩

 鷹狩は春や秋にも行われますが、和歌で「鷹狩」は冬の歌題ですし (但し「小鷹狩」は秋の歌題)、俳諧でも冬の季語です。雪の降る中を鷹狩が行われる様子は、多くの和歌や絵画に描き出されています。

 『小倉百人一首』七十七番の作者である崇徳院が詠んだ歌の中に、鷹狩の場面を詠んだ歌があります

 
 

詞書※

 百首歌めしける時

 

御狩する 
 交野の御野に ふる霰
あなかままだき
   鳥もこそ立て 

(新古今和歌集・冬・六八五・崇徳院)
 

【歌意】 御鷹狩(ごたかがり)をする交野の禁野に降る霰よ、しーっ、 静かに、早くも獲物の鳥が立ってしまうといけない。


 交野は、現在の大阪府枚方市・交野市付近に位置し、地面が比較的平らで周囲より一段と高い台地のような地形になっており、平安時代以来、皇室の狩猟地でした。天皇や皇族が猟をするための土地なので、一般人は入れません。こうした狩猟地を御野・禁野と呼びます。

 一首は、冬に交野で鷹狩をしているところを詠んでいます。獲物の鳥に、静かに静かに近づいているその時、霞が降り始めました。霰は降って地面に散ると、バラバラと音を立てます。せっかく物音や気配を消して 鳥に近づこうとしているのに、霰が降ったら台無しです。
 降り始めた霰に対して、「しーっ、静かにして! 獲物の鳥がびっくりして飛んで行ったらどうするんだ!」と焦り内心で声を掛けている、そんなユーモラスな情景が浮かび上がる歌です。

《用語解説》
詞書(ことばがき)
 和歌集に記載されている、和歌が詠まれた状況・日時・歌題などを示す説明文。