読み物

をぐら歳時記

ものづくりへのこだわりと美の伝統

平安の雅を伝える匠たち  二


用と美の匠が育んだ京の文化
日本発祥の工芸・京扇子
千年の風雅を伝える
宮脇賣扇庵さん


 私たちの日本には様々な伝統工芸が息づいています。中でも千年の歴史を持つ京都では西陣織や京友禅、京焼や京人形、京扇子、かるたなど数多くの伝統工芸が育まれ、人々の暮らしを支えてきました。
 今回はその一つ、 日本舞踊や茶道などの伝統芸能にも使用され、日本の美意識と文化を伝える 役割も果たしてきた京扇子について、文政六年(1823年)創業、京扇子の美と礼と心を追い求めてきた宮脇賣扇庵さんにお話を伺いました。


記録用の木の札から
平安御所の雅な生活を彩る道具として発展

 京扇子の歴史は古く、その誕生は奈良時代から平安時代と言われています。当時貴重だった紙の代わりに、細長く薄い木の板をつづり合わせて使われた、 木簡と呼ばれる記録帳の役割を果たした木の札がルーツとされています。
 木簡は主に桧材が使われていたことから「桧扇」と呼ばれました。その後、 形状は洗練され、扇面は字だけでなく、絵柄で飾られるようになり、宮中女子の雅な生活を彩るものとなりました。
 やがて扇面に歌をしたため、歌合せなどのコミュニケーションの道具としても使われるようになり、扇子作りも一層巧緻な手仕事の工芸として、その伝統を紡いでいくことになるのです。
 こうして平安京で作られ、広まったことから「京扇子」と呼ばれるようになったのです。


鎌倉、室町、江戸を経て、
庶民の文化をかたどる道具として広がる

 京扇子は鎌倉時代になると、禅僧などによって献上品として中国へ渡りました。そこで紙が扇骨の両面に貼られるスタイルに改良され、室町時代に「唐願」として逆輸入され、日本の扇子作りの技法としても使われるようになりました。

 江戸時代には、京扇子は夏に涼を取る道具としてはもちろん、冠婚葬祭や神事、茶道や舞踊などの必需品となり、庶民の日常生活に新たな文化として広く普及していきます。江戸後期には、インドやルイ王朝のヨーロッパにまで伝わりました。


京扇子製造の特徴は、完全分業化
手仕事でしかできない熟練の技が生きる

 京扇子の特徴は「八十七回職人の手を通る」といわれる製造の完全分業化です。扇骨、扇面、仕上げ加工すべての工程が熟練した職人の高度な技に委ねられます。
 骨組となる「扇骨作り」をはじめ、紙を張り合わせる「地紙加工」、絵付けや箔押しなどの「加飾加工」、扇面に折り目をつけ、後の仕上げ工程で骨を差し込む道を通していく「折り加工」など、約二十にも及ぶ工程が、それぞれの職人の手作業で丁寧に進められます。この分業制は「常に最良のものづくりを」という職人気質な町京都ならではの製造体制だともいえます。


閉じても開いても美しい、 日本が誇る伝統工芸品
匠の技法が華やかさを紡ぐ

 京扇子は、神事や祭りで使われるほか、芸能や茶道、香道など様々な日本文化を演出する重要な役割を担う道具にもなっています。
 ご挨拶をする時、扇子を手前に置くことで、相手を敬い、折り目の正しさを表現する、礼儀作法を表わす役割を担い、扇面には絵画を描き、持ち運びできる美術品としての美しさを味わうこともできます。様々な用途、役割を持つ日本発祥の伝統工芸、優美な発明品ともいえるものです。


伝統をつなぎ、伝統を育てる
新たな扇文化が京の地に今

 宮脇賣扇庵さんでは、伝統的な飾扇や夏扇など、あらゆる京扇子の製造・販売と共に、培われた職人技術の伝承、千年の扇文化の継承・普及にも力を注いでいます。
 一方、扇子文化を次世代に引き継ぐ、時代のニーズを取りいれた商品作りや新しい取り組みも積極的に行っています。現代版木簡ともいえる扇子コミュニケーションツール「郵送扇」や様々な分野で活躍する人たちとのコラボレーションから生まれ、現代のライフスタイルにふさわしい、扇子の在り方を発信する新ブランド「バナナとイエロう」など、千年の伝統と京の匠に今、新たな匠が加わろうとしています。