をぐら歳時記
ものづくりへのこだわりと美の伝統
平安の雅を伝える匠たち 四
京の雅な遊びを伝える紙技
「かるたづくり」の匠
美しい手仕事の妙技を今に
京都大石天狗堂さん
百人一首かるた、短冊、花札など、日本人の心を映す美しいかるた遊びは今日まで多くの人に親しまれてきました。
そのほとんどが京都生まれといわれ、古都の雅な遊び心と日本の美を今も残しています。今回の京の匠は、そんな優美な遊びを現代に伝えるかるたづくり創業二百年大石天狗堂さんにお話をお聞きしました。
かるたづくりの手仕事の工程、伝統の職人技などを通じて、日本の雅、伝統かるたの魅力を伝えます。
優雅な王朝時代の
心を伝える
かるた文化の歩み
お正月の遊びや競技としてだけでなく、絵柄や和歌も楽しめるかるたは、古くから日本の文化を伝えるものとして親しまれてきました。
百人一首が現在のようにかるたと結びつくのは、室町時代から天正期 (1573~1593)にかけてポルトガルからカルタ(トランプのようなカード)が伝わったことに端を発し、紙の無い時代の平安京の遊び「貝合わせ」「絵貝」「歌貝」などの和歌文化と結びついて、固有のかるた文化が京に生まれたといわれます。
百人一首かるたは、江戸時代に公家の間で広がり、百人一首の上句と下句を読み札と取り札に分けて、百枚の札を取り合うという現在の形が出来上がりました。
かるたと云えば
「小倉百人一首」、
江戸元禄期に広く普及
百人一首かるたは、江戸時代に入り、木版画の技術の発展などで庶民の中に徐々に広まっていきます。やがて、「民用小倉百人一首」などが出版され、元禄時代の頃から「和歌かるた」と言えば「小倉百人一首」のことを指すようになり、庶民にも馴染みあるものになりました。
この江戸時代以来現在に至るまで、そのほとんどが京都で生産され、全国に届けられています。
かるたは、京に息づく伝統工芸、日本の心、京の雅と美しい遊びとして引き継がれているのです。
優雅で知的な遊び、
伝統の手作りが生み出す
匠の格調を今も
かるたづくりには、印刷、断裁、合紙、検品など工程があるのですが、京都には職人による分業制度というのが昔から進んでおり、それぞれの工程を受け持って作業が進められています。
競技用かるたなど本格的な百人一首かるたは、一枚一枚手作業による裏貼り仕上げされたものもあります。
製作工程は、薄紙に印刷して、その下に厚紙を敷いて1枚の板紙のようなものにしてから寸法断ちして、「生地」と呼ばれるものを作ります。
その「生地」ができ上がった後に、「生地」より大きな裏紙を貼ってその周囲を折り込んでいきます。
これが周囲を手作業で織り込んでいく、昔ながらの「裏貼り」という作業で、なぜそうした工程があるかというと、まだ厚紙がなかった時代には薄い紙を何枚も貼り合せていたので、それで周囲を切り落とすと、端からボロボロになってしまうので、最後に包むと丈夫になるということだったようです。
今はもちろん厚紙もありますし、厚紙に直接印刷する技術もあるので、手作業で裏貼りをするところは、もう日本 にはわずかしか残っていない貴重な伝統技といえます。
和紙で裏打ちし、かるたの四つの角が美しくピンと張るように仕上げていく、熟練の手技がいる作業です。手作りの工程は、格調があり、美しい丈夫なかるたを創り出します。
手作業が創り出す
反りを美しく、
一定に仕上げる京の紙技
かるたづくりで最も熟練を要する工程は、一枚一枚刷毛で糊を塗り、生地の裏から表にへりを返して縁を作る裏貼り作業です。
裏貼り仕上げは、薄い和紙を重ねて厚く仕上げていきますが、水分のある糊で裏面に大きな和紙の裏紙を貼って、四辺を包むと和紙は水分を含むと伸び、乾くと縮むので、裏紙で縁まで包んで密着させていると、紙が裏側に引っ張られてかるたが反ってきます。
ほどよい反り具合のおかげで床からかるたが少し浮いた状態になり、指にかかりやすく取りやすくなるため競技用かるたに使われるのだとか。
この反りを一定に美しく仕上げる手仕事の匠の一つです。工房では、1枚ずつ丁寧に京の優美な伝統の技で、小倉百人一首かるたが仕上げられています。