洗心言
2002年 盛夏の号
伝承の花
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- 伝承の花【朝顔】
- 万葉の頃、朝顔とは桔梗あるいは木槿のことでした。しかし平安時代初期、唐より伝来した薬草、牽牛子がその可憐さゆえ、朝顔の名を奪い取ったと伝えられます。
自然の恩恵 共存の知恵
京都に本格的な夏の訪れを告げる、コンチキチンの祇園囃子。軽やかな音色が鳴り響く小路には、紅殻格子や虫籠窓がほどこされた伝統的な京町家が軒を連ねます。うだるような暑さで名高い京都の夏。しかし京町家には、ひんやりとした爽やかな風が流れているのです。
人と自然とがひとつになることで生まれる、本当の豊かさをご紹介する「自然の恩恵 共存の知恵」。今回は、太陽の力を利用して夏を涼んできた、京都人の画期的なアイデアを解説してまいります。
無風の空間に風を起す坪庭。
京町家の快適テクノロジー
「格子戸を開ければ、
そこは「うなぎの寝床」」
「うなぎの寝床」と呼ばれる京町家。これは、わずか三間ほどの狭い間口に対して奥行きがたいへん長い、その独特な構造から付けられた名前です。格子になった玄関戸をガラリと引けば、裏庭へと続く通り庭(土間)が目に映ります。そしてその通り庭に沿って見世の間(応接)、ダイドコ(居間)、奥の間(座敷)と「おうえ(床上)」が続きますが、京町家には部屋と部屋との間に坪庭を設けている家屋も少なくありません。
池泉あるいは枯山水と、住まう人の趣を優雅にかたどった坪庭のたたずまい。しかしその造りには目を悦ばせるだけには終わらない、心地よい暮らしへの創意工夫が息づいているのです。
「照りつける日差しが、
涼やかな風を生む不思議」
ここで理科の話しを少し。空気は暖まると軽くなり上へ昇る性質があります。冷たい空気は暖かい空気の動きにつられ、そこで気流、すなわち風が生まれます。
同じ原理から、坪庭に日光が降りそそぐと暖められた空気が上昇し、日陰の部屋の空気は坪庭に向かって動きはじめます。つまり太陽が厳しく照りつけ、たとえ風がそよと吹かない日でも、うなぎの寝床にはひんやりとした涼やかな空気が漂っているのです。
「五感を使って、
暑い夏を
風流に愉しむ京の人々」
西山、北山、東山と三方を山に囲まれた京都の街。内陸の盆地という地形ゆえ、夏の暑さは筆舌に尽くしがたいものがあります。そんな過酷な風土と共に生きるために、先人たちは知恵をめぐらせ、自然の力を利用した「快適テクノロジー」を生みだしたのでしょう。人工の冷風とはことなり、うるおいや薫り、さらには味わいをもたたえた天然の涼風。その心地よさは今日もなお、京町家に息づいています。
さて、京町家に涼を呼ぶ小道具として忘れてはならないものに、簾と風鈴とがあります。ゆるやかな風にもゆらぐ様、静けさにそよぐ音は清しさをいっそうひきたててくれるもの。五感を使って涼を愉しむ。それはなんとも風流な夏遊びではないでしょうか。
平安の遊・藝
「雅楽」
「癒しの音楽」
として雅楽がいま人気
ヒーリング・ミュージック」という言葉をよく耳にするようになりました。訳すると「癒しの音楽」となり、聞くと心おだやかになるような音楽を総称する新語です。ストレス時代と呼ばれる昨今、「ヒーリング・ミュージック」は老若男女を問わずに愛聴され、それだけを十数曲集めたCDもベストセラーになっているほどです。
そのような時流のなか、日本古来の宮廷音楽である雅楽も、「癒しの音楽」として脚光を浴びています。
「天よりの光」
と称される笙の音色
古代中国や朝鮮の音楽の影響を受け、平安時代の中ごろに完成したと伝わる雅楽は、現存する合奏音楽としては世界最古といわれています。用いられる楽器は吹物(管楽器)、弾物(弦楽器)、打物(打楽器)の三種に大きく分けられますが、いま人気を呼んでいるのは吹物のひとつである笙の音色です。
長短十七本の竹から紡がれる神秘的な音色は「天よりの光」と称され、平安貴族たちにもこよなく愛されたといわれています。清少納言は『枕草子』に「笙の笛は、月の明きに、車などにて聞き得たる、いとをかし」と記しているほどです。笙はまた、たいへん美しい姿形をもち、鳳凰が翼を休めているようなたたずまいから「鳳笙」とも呼ばれています。
「伝統芸能に若い人たちから
熱い視線」
雅楽が注目を集めている理由には、テレビCMなどにも出演している笙の若手演奏家の人気もあるようです。衣冠束帯はもとより、最新モードを凛々しく着こなす洗練されたスタイルに、熱い視線が注がれているのだとか。同じく若手演者の活躍により、狂言もいま人気と聞きます。きっかけはなんであれ、「古くさい」「難しそう」と見向きもされなかった日本の伝統芸能が若い人たちに見直されはじめているのは、喜ばしいことではありませんか。
百人一首逍遙
瀬をはやみ
岩にせかるる
滝川の
われても末に 逢はむとぞ思う
- 崇徳院
『小倉百人一首』に撰ばれた百首中、最も多いのが恋心を題材とした歌で、その数は四十三首にも及びます。これほどまでに恋歌が多いその理由は、撰者である藤原定家が心の綾が織りなされた歌をなによりも好んだためといわれています。四十三を数える恋模様は片思いの恋、淡い恋、忍ぶ恋、哀しい恋、情熱的な恋とまさに十人十色。しかしどの歌もわずか三十一文字に、愛する人への焦がれる気持ちや止めどない思いがこめられているのにかわりはありません。
今回ご紹介する歌は、崇徳院が詠んだ一首。一途な情念がしぶきとなってほとばしるかのような恋歌です。
その大意は、
激しい思いが岩にせき止められるように今は離れ離れですが、滝川の水が再び出逢ってひとつの流れになるように、きっとあなたと結ばれます。
とされています。鳥羽天皇の第一皇子であった崇徳は、わずか五歳で天皇に即位しました。幼い頃から和歌をたいそう愛し、宮中で雅びやかな歌会をしばしば愉しんだと伝えられます。
さて、崇徳天皇が即位していた平安時代末期は院政が華やかであった世。実権は天皇ではなく、その上に君臨する上皇(院)の掌中にありました。崇徳天皇もその例外ではなく、父である鳥羽院の言うがままであったといわれています。そして二十二歳のとき、鳥羽院の策により弟の近衛が三歳で天皇の座につき、不本意に退位させられた崇徳は新院(新しい上皇)となります。その後も不遇をかこった崇徳院は「保元の乱」を起こして起死回生をはかるものの敗れ、讃岐の国に流されてしまうのです。
恋歌と呼ぶには、あまりにも激烈な詞。この歌には、内紛に翻弄された無念と復活への執念とが秘められているのかもしれません。
小倉山荘 店主より
過去に学び、今をひたむきに生き、明日への道を拓く。
どうにもならないこと。どうにかなること。
私はつねづね、人生をこの二つに分けて考えるようにしています。「どうにもならないこと」とは、いまさら変えようのない過ぎ去ったこと。しかしそれをただ悔やむだけでなく、そこから何かを学ぶこころをもち、今というときを全力で頑張れば、明日への道も切り拓くことができます。
もちろん知恵をふりしぼり、精一杯ことを尽くしても人生は往々にして気まぐれなもので、思い通りにいかないときもございます。しかし先人が「青春は実験の繰り返し」と申しましたように、夢と希望を忘れることなくひたむきに走り続ければ、いつかは願いが叶うものと信じております。
そんな思いを胸にあらためて刻み、日々の仕事に取り組んでまいりたいものです。
報恩感謝 主人 山本雄吉